2012年4月13日金曜日

岐阜:中国人の芸妓誕生

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● 岐阜芸妓組合の芸妓になった神楽さん



2012年4月13日 読売新聞 
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/gifu/news/20120412-OYT8T01328.htm

中国人の芸妓誕生
日本に帰化「文化交流の架け橋に」

 岐阜市の岐阜芸妓(げいぎ)組合(熊沢順子組合長)に12日、日本国籍を取得した中国人の芸妓が誕生した。
 同組合は、
 「日本に帰化した外国人の芸妓は初めてでは
と話している。

 芸妓は、神楽雛子さん(中国名・傳莉(フリ)、30歳代)。
 中国四川省成都市出身だ。
 2005年7月から中国の食料品貿易会社の営業担当社員として岐阜市に赴任。
 半年後、会社の接待で訪れたお座敷遊びで初めて芸妓の姿と日本舞踊を見て興味を抱いた。

 お座敷で知り合った熊沢組合長に勧められ、着物姿で日本舞踊を習い、時々、芸妓のアルバイトでお座敷に出るうちに「自分も本物の芸妓になりたい」と思うようになった。

 日本語は来日してから独学で身につけ、日常生活は不自由ない。
 成都市にいる両親も
 「そんなに興味があるなら頑張りなさい」
と応援してくれ、昨年11月に日本国籍を取得し、今春会社を退職、12日付で同組合に入った。

 神楽さんは今後、三味線や鼓なども習う予定で、
 「念願の芸妓になることができてうれしい。
 日本を訪れる中国人も増えており、日中の文化交流の架け橋になりたい」
と話している。

 熊沢組合長は
 「芸妓組合は昭和40年代まで130人の芸妓がいたが、現在は神楽さんを入れてわずか25人。
 業界の衰退が心配される中、神楽さんの活躍で活気を取り戻せれば」
と期待している。
 問い合わせは同組合(058・262・4167)。


 以前に、慶応大学の先生でオーストラリアの女性が芸者になり、その後規則を守らないということで、罷免されたことがあったが、今回はどうだろうか。
 師弟関係、組合関係の強いのがこの業界だと聞く。
 なるなのはなれても、そのままやっていくというのは余程でないと無理だろう
 ハングリーにならないと耐えられないのではないか。
 表面的な趣味やあこがれでモノになるようなものではないようである。
 文化交流なんてキレイ事ではすまないような気がするのだが。

 だが、芸妓の数が少なくなっているという。
 そのうち、中国韓国系の芸妓が過半を占めることになりうるかもしれない。



レコードチャイナ 配信日時:2012年4月14日 13時28分
http://www.recordchina.co.jp/group.php?groupid=60440&type=0

中国人女性が日本国籍を取得して芸妓に、外国人では初めて!―岐阜県

 2012年4月13日、華字紙・日本新華僑報によると、中国四川省出身の神楽雛子(傅莉=フー・リー)さんが日本国籍を取得して芸妓(げいぎ)になった。
 外国人の血が流れる芸妓の誕生は日本初だという。

 05年7月に中国の食品貿易会社の岐阜支社に派遣され、日本での生活を開始。
 会社の企画した宴席で芸妓の踊る姿を見てひと目で魅了され、いつか自分も芸妓になりたいという夢を抱いた。
 四川省成都市に住む両親に相談したところ、意外にも反対されず、逆に「そんなに好きなら頑張りなさい」と応援してくれた。
 しかし、芸妓業界には「芸妓は日本国籍の保有者」とのルールがあり、言葉とともに大きな障害となった。

 来日前は日本語を話せなかったが、独学でマスターし、言葉の問題を克服。
 11年11月には日本国籍を取得し、今年4月12日に岐阜芸妓組合に籍を置く正式な芸妓となった。
 芸名は莉那(りな)。

 同組合の熊沢順子組合長によると、最も栄えた昭和40年ごろには130人以上の芸妓が所属していたが、現在は神楽さんを含めて25人。
 「芸妓業界は徐々にすたれていく傾向にある。
 神楽雛子の加入が新たなエネルギーをもたらしてくれたら」
と期待する。

 神楽さんは
 「日本を訪問する中国人は増えている。芸妓文化を通じて日中両国の文化交流の懸け橋になりたい」
と抱負を語った。





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