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●Josh Chin/The Wall Street Journal
谷開来氏。
15年前に谷氏に雇われていた米コロラド州の弁護士エド・バーン氏は「中国のジャッキー・ケネディ」のようだったと語る
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ロイター 2012年 04月 11日 06:31 JST
http://jp.reuters.com/article/marketsNews/idJPJT810991020120410
前重慶市トップ薄煕来氏、政治局員も解任 妻は英国人殺害の疑い
[北京 10日 ロイター] 中国共産党は、重慶市党委員会書記を解任された薄煕来氏について、党中央の職である政治局員、中央委員からも解任した。
新華社が10日、報じた。
今秋の党大会での最高指導部入りが有力視された薄氏は、解任により、政治生命を事実上絶たれたことになる。
ただ、党から除名されたわけではない。
新華社は、解任の理由について「薄煕来氏に深刻な規律違反があった疑いがある」と伝えている。
また
「重慶市で死亡しているのが見つかった英国人ニール・ヘイウッド氏の事件について、警察は再捜査チームを編成した」
と指摘。
警察が集めた証拠は、ヘイウッド氏が殺害されたことを示しており、薄煕来氏の妻、谷開来氏と薄氏宅で働いていた人物による犯行の「疑いが強い」としている。
詳細は明らかになっていないが、ヘイウッド氏と谷開来氏は「経済的利益」をめぐり対立していたという。
今年2月に重慶市の王立軍元副市長が米国総領事館に駆け込んだ事件がきっかけとなり、薄氏は失脚に追い込まれた。
王副市長は、谷開来氏がヘイウッド氏の死に関与したとの疑いを抱いていたとされる。
薄氏の解任は中国指導部内の亀裂を浮き彫りにした。
英ノッティンガム大学の中国専門家、スティーブ・ツァン教授は
「今回の出来事は、薄氏をめぐる多くの憶測を封じ込めるため、指導部交代を前に、党内が一枚岩であることを示す必要があるとの意見で、指導部内がようやく一致したことを示唆しているようだ」
と指摘した。
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朝日新聞 2012年4月11日
http://www.asahi.com/international/reuters/RTR201204110001.html
薄煕来氏の党職務停止、妻は英国人殺害の疑い=新華社
● 4月10日、中国の新華社が同日報じたところによると、重慶市共産党委員会書記を解任された薄煕来氏は、党中央委員会および中央政治局常務委員会の職務が停止された。
写真は北京で全国人民代表大会に出席する同氏。
3月撮影(2012年 ロイター/Jason Lee)
[北京 10日 ロイター] 中国の新華社が10日報じたところによると、重慶市共産党委員会書記を解任された薄煕来氏は、党中央委員会および中央政治局常務委員会の職務が停止された。
「深刻な規律違反」の疑いが持たれているとしている。
新華社はまた、薄煕来氏の妻、谷開来氏に、死亡した英国人ニール・ヘイウッド氏を殺害した疑いがもたれていると報じた。
警察が集めた証拠は、ヘイウッド氏が殺害されたことを示しており、妻の谷開来氏らによる犯行の「疑いが強い」という。
』
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ウォールストリートジャーナル 2012年 4月 9日 15:56 JST
http://jp.wsj.com/World/China/node_423069
「中国のジャッキー・ケネディ」と言われた薄熙来氏の妻
米アラバマ州モービル。
15年前に幼い息子を連れて現れた谷開来氏は強烈な印象を残していた。
谷氏は重慶市トップを解任された薄熙来氏の妻だ。
当時、複数の中国企業に対する訴訟が米国の連邦裁判所に提起され、コロラド州デンバーの弁護士エド・バーン氏はその代理人として谷氏に雇われた。
バーン氏は谷氏の頭脳、魅力、美しさに驚いた。
「中国のジャッキー・ケネディ」のようだった、とバーン氏は言う。
谷氏が当時配った名刺には、ホーラス・L.・カイ(Horus L. Kai)という名前が書かれていた。
谷氏が米国や英国でビジネスを行う際に使っていた名前だ。
バーン氏によると、谷氏は中国で弁護士として開業しており、この訴訟についても戦略立案に参加した。
裁判が終わると、谷氏は弁護団を中国・大連市に招き、当時、市長だった夫とともに接待した。
バーン氏は当時、この裁判について、
「私が過去20年間でかかわった訴訟の中でも最も奇妙なものの1つだった」
と話した。
今回の政治スキャンダルについて、バーン氏は「気が遠くなる」と感想を漏らした。
現在53歳の谷氏は、この不可解なスキャンダルの中心人物だ。
薄氏は先月、重慶市の共産党委員会書記を解任され、中国政界には混乱が生じている。
重慶市の元公安局長、王立軍氏が今年2月上旬に中国の米国総領事館に保護を求め、スキャンダルが表面化した。
元警察官の王氏は、昨年11月に重慶市で死亡した英国人ビジネスマン、ニール・ヘイウッド氏が谷氏との関係が悪化したあとに毒殺された、と主張した。
この情報を薄氏に伝えたあと、薄氏と決裂したと王氏は主張している。
薄氏が解任前に最後に公の場に姿を現したのは、中国全国人民代表大会の記者会見だった。
薄氏は妻の谷氏は主婦であり、20年前に弁護士の仕事から退いたと述べた。
しかし、ウォール・ストリート・ジャーナルが調査したところ、谷氏は過去20年間にわたって、中国、米国、英国でビジネス活動にかかわっていたことがわかった。
谷氏は自身が設立した会社を経営していた(社名は中国語でKailai、英語ではホーラス・L.・カイ法律事務所<Law Office of Horus L. Kai>)。
ホルス(ホーラスはHorusの英語式の読み方)は空、戦争、狩りを司る古代エジプトの神の名前だ。
事情に詳しい情報筋によると、谷氏はホーラス・コンサルタンシー・アンド・インベストメント(Horas Consultancy & Investment)という会社とかかわりがあり、この会社から利益を得ていた。
この会社は中国経済が爆発的に成長した1990年代に、中国への事業進出を希望する顧客に助言していたという。
同筋によると、谷氏はヘイウッド氏を含むアドバイザーや友人といった少数の側近に頼っていた。
ラリー・チェンという米国人ビジネスマンやフランス人建築家のパトリック・アンリ・ドビレール氏も側近だった。
こういった人々は全員、大連や北京で薄一家と懇意になった。
谷氏とかかわりのあった弁護士などのインタビューや、ヘイウッド氏から話を聞いていたという複数の友人の証言によると、谷氏は知性や意欲の点でも、自己アピールが好きなところも、夫の薄氏に引けを取らない女性だったようだ。
しかし、薄一家の事情をよく知る複数の人物によると、谷氏は近年、うつや裏切りの恐怖、夫と距離ができつつあることに悩んでいたという。
共産党の最高指導部である政治局常務委員会入りを目指していた薄氏は、遅くまで仕事をすることで有名だった。
消息筋によると、ヘイウッド氏は生前、複数の友人に対して、谷氏との関係が悪化し、身の危険を感じると話していた。
ヘイウッド氏は、谷氏が薄一家の取り巻きの誰かに裏切られたと思い込むようになったと語っていたという。
谷氏が現在、どこにいるかは分かっていない。
谷氏に連絡を取ることはできなかった。
中国外務省にコメントを要請したが、回答は得られなかった。
谷氏は何かの罪に問われているわけではない。
外交官やアナリスト、共産党幹部に近い情報筋によると、党は薄一家が過去にかかわったビジネス上の取引やヘイウッド氏との関係について詳しく調べる可能性が高いという。
このスキャンダルによって薄氏の野望は断たれた。
共産党幹部に近い情報筋によると、薄氏の処遇はまだ決まっていないという。
薄氏の支持派は薄氏を政治局に残すべきだとしているが、反対派は薄氏を政治局から追放して、厳しく処罰するよう求めている。
谷氏の今後も、中央政界の権力闘争がどのように落ち着くかにかかっていると言える。
党の関係者は現状を、1989年の天安門事件以来最大の政治危機とみている。
父親が著名な革命家だった薄氏と同じく、谷氏も父親が共産党幹部だった。
父親の谷景生氏は1930年代に旧日本軍と戦ったことで知られる共産党の将官だった。
薄氏も谷氏も、名門の北京大学出身で、薄氏は世界史とジャーナリズムを学び、谷氏はその数年後に、法律と国際政治を学んだ。
薄氏と谷氏が初めて出会ったのは1984年だった。
国営メディアの報道によると、谷氏が大連近郊を調査旅行で訪れ、薄氏はこの地域の党書記を務めていた。
谷氏は2006年にある国営新聞に対して、
「彼は極端に理想主義的であるところが、私の父にとてもよく似ていた」
と話していた。
二人が結婚したのは、それから約2年後のことだ。
この記事によると、その後、谷氏には米国に留学する機会があったが、谷氏は薄氏の元にとどまることを選び、留学を辞退したという。
薄氏は1989年に大連市副市長に、1993年に同市の市長に就任した。
11月に不審死した英国人ビジネスマンのヘイウッド氏は1990年代初めに大連に移った。
ヘイウッド氏の2人の友人によると、同氏は仕事の機会を求めて薄氏に手紙を送り、その後、薄氏夫妻と懇意になったという。
谷氏は弁護士としてキャリアを積み、1995年に北京に法律事務所を設立した。
谷氏は1998年に、中国企業が米国で勝訴した際に自分がどのような役割を果たしたかについて本を書き、この本のおかげで中国で最も成功した弁護士の一人として名声を集めた。
本のタイトルは「米国で訴訟に勝つ」。
この本の中で、谷氏は夫が市長だったにもかかわらず、大連の司法当局は谷氏の法律事務所にこの裁判を引き受けるように依頼したとしている。
谷氏は無料で訴訟を引き受けたと述べた。
谷氏は自らの姿を、中国の国益を守ろうと躍起になっている大胆不敵で草分け的存在の弁護士として描いた。
谷氏はある一節で、「勇気は分別よりも重要だ」と書いている。
この本と同じタイトルの連続番組が2002年にテレビ放映された。
非常に野心的な女性弁護士がハンサムで前途有望な政治家に夢中になるという内容だった。
コロラド州の弁護士バーン氏は米国での裁判の間、谷氏の窓口を務めた。
「彼女は非常に頭の切れる人で、幸いなことに、英語がとてもうまかった」
とバーン氏は語った。
訴訟は複数の中国企業と破産申請した米国企業の間の紛争にかかわるものだった。
裁判所が任命した破産管財人は中国企業が米国企業の企業秘密を不正に入手しようとしたとして訴訟を起こした。
中国企業に100万ドル余りの支払いを求める判決が言い渡された。
1997年、谷氏はアラバマ州に飛び、公判を監督し、助言を行った。
バーン氏と米国の弁護団は裁判所に判決を破棄させた。
この決定は中国国内で画期的な勝利と受け止められ、薄氏は弁護団に祝いの手紙を送った。
薄氏と谷氏はこの訴訟に尽力した米国人数人とその家族を大連に招いた。
その一人だったRobert Schenkein氏は、薄氏夫妻から大連近郊の金石灘ゴルフリゾートで接待を受けたことを覚えていた。
Schenkein氏は当時、コロラド州で広報コンサルタントをしており、訴訟の間、谷氏に助言していた。
招待客は2階建てのニューイングランド風のコテージに滞在した。
「どれほどのもてなしをうけるのか、想像できなかった」とSchenkein氏は話した。
ある日、大連での夕食の席で、薄氏は部屋中の人と握手をして回った。「米国の政治家を見ているようだった」とSchenkein氏は言う。
薄氏の政治手腕は当時の国家主席で、共産党中央委員会総書記だった江沢民氏の目に留まった。
2001年、薄氏は中国東北部の遼寧省の省長に昇格した。
同じ年に、谷氏の法律事務所は「Ang Dao」に社名を変更し、谷氏は法律事務所に積極的にかかわることをやめたようだ。
しかし、北京市の法務当局のウェブサイト上では、谷氏は今でもAng Daoの弁護士として登録されている。
Ang Daoはコメントを拒否した。
谷氏を知る人々によると、谷氏は北京で多くの時間を過ごしていた。
北京では、息子の面倒は谷氏の両親や、薄氏の父親で著名な革命家の薄一波氏が見ることが多かったという。
薄一波氏は党や政府の要人の居住区である中南海で暮らしていた。
薄一家に近い人々によると、2000年前後に、谷氏は息子の薄瓜瓜氏と英国に渡った。
瓜瓜氏は2000年から2006年まで寄宿学校のパプルウィック校とハロー校で学び、その後、オックスフォード大学に進学、現在は米ハーバード大学の大学院で学んでいる。
ヘイウッド氏の複数の友人によると、同氏は瓜瓜氏の英国留学の手配を手伝ったという。
英国では、谷氏と瓜瓜氏がどこで暮らしていたのかはわかっていない。
英国の公式記録によると、2000年にホーラス・カイ(Horus Kai)という名前の中国人弁護士が、英国南部の都市プールを所在地とするAdadという名前の会社の取締役に就任したとある。
Adadは2003年に解散した。
ある公式文書には中国語でホーラス・カイの署名があった。
この署名はなんとか判読できる程度のものだが、谷氏の本名である「谷開来」の最後の2文字が書かれているように見える。
この文書に記された生年月日は1958年11月15日(北京市の法務当局のウェブサイト上にある谷氏の生年月日と一致する)で、住所はプール市に近いボーンマスだった。
別の複数の文書には、フランス人建築家のドビレール氏がAdadの取締役として記載されていた。
同文書によると、ドビレール氏は現在52歳で、住所はホーラス・カイのボーンマスの住所と同じだった。
ドビレール氏の居場所は突き止めることができなかった。
コロラド州の弁護士バーン氏は、ドビレール氏と中国人の妻が谷氏との夕食の席にいたことを覚えていた。
バーン氏は「彼らは個人的な友人だと思った」と話した。
谷氏はかつて、ホーラス・コンサルタンシー・アンド・インベストメントと金銭的なつながりがあった。
同社の社名にあるホーラス(Horas)は谷氏が海外でよく使っていた名前(Horus)とほぼ一致する。
谷氏は著作の中で、この会社が米国での訴訟の際に手を貸してくれたと書いている。
ホーラス・コンサルタンシー・アンド・インベストメントの会長であるラリー・チェン氏(チェン・イージュンとも呼ばれている)はあるインタビューで、谷氏とは1990年代に仕事上の付き合いがあり、2人は中国に投資している外国企業に対するサービスの提供に携わっていたと述べた。
チェン氏は具体的な話は差し控えた。
1990年代後半にチェン氏と谷氏が使っていた名刺によると、チェン氏の会社と谷氏の法律事務所は大連と北京で事務所を共有していた。
Ang Dao法律事務所は現在も同じ住所を使用している。
チェン氏は2000年頃に自分の会社を上海に移したと話し、新会社には谷氏は関わっていないことを明らかにした。
チェン氏は
「かかわり合いになるにはふさわしいタイミングではないと思う」
と述べて、この会社の現在の顧客について明らかにしなかった。
チェン氏は現在の会社の主要株主の1社が大連実徳であると述べた。
大連実徳の会長で富豪の徐明氏は薄一家と親しい関係にあると言われている。
徐氏は先週、出席を予定していたビジネス会議に姿を見せなかったことから、徐氏が政治スキャンダルとの関連で当局に拘束されたと報道が出ている。
大連実徳は化学建材メーカーで、中国サッカーリーグ1部に所属するチームを保有している。
同社の幹部からは先週、コメントを得られなかった。
大連実徳に近い2人の関係者は、徐氏はしばらく連絡が取れないと話した。
薄氏が2004年に商務部部長、2007年に重慶市の共産党委員会書記に就任して以降、谷氏の活動を公に証明するものはほとんどない。
谷氏をよく知るある人物は、谷氏が絵を描くことやインテリアデザインを楽しみ、中国の伝統的な弦楽器である中国琵琶を演奏する芸術的なタイプだと話した。
この人物は、谷氏が数年前に病院でうつの治療を受けることについて話していたと語った。
薄一家を知る別の人々も、谷氏はうつを患っていると話した。
ヘイウッド氏は友人の1人に、谷氏が2007年頃に汚職に関する取り調べを受けてから、次第に神経質になったと話していた。
また、ヘイウッド氏は、谷氏がある時、複数の取り巻きに対して、配偶者と離婚して薄一家に忠誠を誓うよう要求したと話したという。
この友人によると、ヘイウッド氏はこれを拒否したと話していたという。
薄氏は先月の記者会見で、自分の家族に対する疑惑は薄氏が重慶で進めた組織犯罪の取り締まりの対象となった人間が広めたものだと述べた。
「何人かの人が重慶市と私、そして私の家族に泥を塗っている」
と薄氏は語った。
薄氏は妻の谷氏を擁護して、
「妻は基本的に家にいて、私のために家事をこなしている。妻が犠牲を払っていることに胸を打たれる」
と述べた。
記者: Jeremy Page and Brian Spegele and Steve Eder
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新唐人日本2012年3月22日付ニュース
【新唐人日本2012年3月22日付ニュース】
更迭した重慶市元書記・薄煕来が行方不明になり、ネット上では取調べを受けているとのうわさが飛び交っています。
一方、側近の官僚や左派支持者らも次々粛清され始めています。
更には、官僚の外国逃亡を防ぐ措置も取られているようです。
更迭した薄煕来の行方が謎のままです。
ミニブログでは、取調べを受けているとうわさされています。
北京駐在の香港フェニックステレビの記者さえも、ミニブログに"どう見ても取り調べは、ただのうわさではないようだ"と漏らしました。
香港のアップルデイリーは20日、消息筋からの情報として"
共産党内部では17日午後、薄煕来に対する取調べの内部文書が通達された"
と報道。
一方、薄煕来のシンクタンクの一人と呼ばれる重慶市共産党委員会の徐鳴常務委員も失踪し、取調べを受けているとのうわさが流れています。
また、薄煕来支持で有名な左派学者・司馬南氏も
"北京での報告会が取り消され、ミニブログの発言も削除された"
とメディアにこぼしました。
"文官には徐鳴、武官には王立軍、経済には黄奇帆がいる"
といわれた薄煕来ですが、今は、徐鳴まで取調べを受け、残る黄奇帆市長は
"党中央を断固と擁護する"との立場表明で、
辛うじて官職を取り留めています。
解放軍ハルピン軍事工程学院の卒業生で、後に右派にされ、海外に亡命した紀暁峰さんは、薄煕来の重慶グループは全員粛清されると断言します。
「中華評述新聞網」 紀暁峰編集長
「この芝居がどう演じられるか見てください、今回胡・温はおびき出しの手段で、(薄を)北京の会議に参加させました。
共産党は常に裏で動きますから、重慶の薄煕来グループを片つけてから、薄煕来の解任を宣告したのです」
また、問題のポイントは重慶グループの失踪ではなく、周永康にまで影響し、江沢民派がドミノ倒しになることだと示します。
「中華評述新聞網」 紀暁峰編集長
「間違いなく彼らは次々と刑務所に入れられ、次は周永康で、江沢民の可能性もあります。
なので 今注目すべきことは薄煕来の重慶グループの行方ではなく、薄煕来と周永康のつながりで、どれほどが刑務所に入るかです」
薄煕来にまつわる事態の発展は外部の想像を遥かに超え、大勢の官僚が巻き添えになると見られています。
近日、"重慶日報"は新任の張徳江書記の"中央政府擁護"を大々的に宣伝し、外交事務部門には官僚の出国審査への強化を促しています。
新唐人テレビがお伝えしました。
http://www.ntdtv.com/xtr/gb/2012/03/20/a675142.html.(中国語)
』
『
サーチナニュース 2012/04/13(金) 17:56
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2012&d=0413&f=national_0413_163.shtml
薄熙来事件でネット言論取り締まり、1カ月で21万件削除=中国
中国各メディアは12日、インターネット上の「デマ」取り締まり運動を展開している当局が、3月中旬からの約1カ月間で21万件のネット言論を削除し、42サイトを閉鎖したと伝えた。
党指導部は薄熙来・前重慶市共産党委書記の事件に絡んでネット世論に神経をとがらせており、引き続き規制を強化している。
新華社通信などによると、中国国務院の国家インターネット情報弁公室と工業・情報化部の当局者は12日、インターネット情報管理部門や公安部門が3月中旬から現在までに21万本以上の「デマ情報」を「整理」し、42サイトを閉鎖したことを明らかにした。
また公安機関が6人を拘束したと述べた。
「軍用車両が北京に入り、事件が起きた」
というデマが流れたことを例に挙げ、
「ネットを利用してデマを流す行為は社会の安定を損なう」
もので、
「法に基づき厳しく処罰する」
と強調した。
当局者は直接言及しなかったが、これらのデマはこのほど失脚した薄熙来氏の事件に関連したもの。
薄氏は3月15日に重慶市トップの共産党委員会書記を解任され、4月10日には「重大な規律違反」のため政治局委員など党中央の職務も停止された。
薄氏は今秋の第18回党大会で最高指導部である党中央政治局常務委員入りが有力視されていただけに、権力闘争と絡めさまざまな情報が内外で流れている。
米VOA(中国語電子版)は中国メディア関係者の話として、
「本当に情報が公開されればデマは止む」
と皮肉っている。
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