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レコードチャイナ 配信日時:2012年4月11日 7時47分
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<コラム・海峡両岸ななめ読み>
冷戦後の中台関係を読み替える―「中国の練習問題」としての台湾
90年代末から2000年代は日本の中で安穏と暮らしてきた人々にとっても、もはや日本という国家に対する前提抜きの安心感といった感覚がどんどん失われていった時期ではないか。
その直接の要因とは言えまいが、大きな背景の一つには隣国中国が本格的に台頭してきたことがあるだろう。
■「中国脅威論」を相対化するには
もともと中国に対しては、20世紀中から「中国脅威論」の論調はあった。
しかし、21世紀を迎えてGDP全体では日本を抜くなど中国の経済的成長がはっきりとした形を取るようになるにつれ、従来よりさらに強硬で警戒的な意見も目立つようになってきているし、
清朝時代以前の朝貢態勢が復活
するのではないか、というようなことをいう人もいる。
筆者はそこまで神経質にならなくてもという気もしているのだが、こうした見方をする人々は、日本のような、明確な国境線があるとされ、またほぼ単一民族という神話を上から下までおおむね信じているような国家像を中国にも反映させているのだろう。
しかし実のところ中国はおそらくそうではない。
広い国土に少数民族居住区を有し、北京、上海、福建、広東といった
地域アイデンティティ間の摩擦
も日本よりはるかに大きい。
決定的なのは、従来から明確に区分された国境線よりも、
曖昧な境界「感覚」を基にした華夷秩序
がごくごく最近まで生きてきたことだ。
つまり従来の中国は西欧的な概念での国家ではなかったのかもしれず、はっきりと線引きされた近代的な国家像を名実ともに求めるようになってきたのは長く見ても改革開放後の30年ほどのことなのだ。
西欧諸国や、たまたま東アジアでは理念型的な国家となった日本に比べ、何周か遅れでの国家建設を急いでいる最中であり、そのペースが速すぎるために、周辺地域との軋轢が目立ったり脅威に感じられるのではないか。
筆者はこのように考えるのだが、自分のような意見は少数であり、圧倒的多数の人は日本国内の尺度で中国を見ていることも自覚している。
そこで提案なのだが海峡を隔てて同じく漢民族を主流とする台湾という地域にも、「中国の練習問題」として、中国を考える補助線として、日中間のクッションとして目を配ると良いのではないか。
■無視できない文化的な「反攻大陸」路線
台湾が今なお重要と考える理由は2点ある。
一つには日本という場からの見方である。
日本の植民地統治という歴史的事実は今なお東アジアに影響を与えているが、日本国内では自覚されていない。
特に台湾に関しては中国との政治的関係のせいか情報が少ないため、その傾向はより目立つ。
ただこのことについては今回は別の場に譲る。
2つ目が本コラムにとって重要な点で、
中国を考える上での「練習問題」、補助線という台湾への位置づけである。
今の日本国内では、中国が圧倒的な経済成長力を背景に、いずれは台湾を飲み込んでしまいそうな勢いであり、台湾側は守勢に回っている―という見方が主流のようだ。
こうした見方の前提にあるのは(国連承認国)中華人民共和国対(国連非承認国)中華民国という「国家」同士の対立であり、中国から盛んに喧伝される「解放台湾」路線を基にしているということになろう。
しかし、台湾海峡両岸の「社会」間関係に目を移せば、従来までは、圧倒的な経済優位性・高い対中投資能力を持ってきた
台湾がまずは経済的次元から、
次に文化的・社会的・言語的次元で中国社会を変容させてきたし、いまなお変えつつある
ように見える。
いわばかつて国民党が唱えた
「反攻大陸」路線が平和裏に、文化・社会的に成功しつつある
ともいえないか。
軟らかいところから事例を挙げてみよう。
今の中国若年層世代に人気のある(日本製)アニメにせよ、AVにせよそもそもは台湾からの海賊版が中国に流入した結果と言われている。
華流に代表される中華エンタメは台湾の芸能人により展開されているが、もはや中国市場なしでは成り立たない。
こうしてメディアを通じ流入する台湾発の中国語は、本流と自負しているはずの中国大陸の中国語をも変容させている。
例えばもともと社会主義用語だった「同志」は、台湾でなぜか同性愛者を指すものとして使われるようになり、それが中国にも逆輸入。
今や中国では、同性愛者としての意味は知っていても、原義通りに「同志」を使う若者は少数だ。
またもともと日本サブカルチャー愛好者を指す台湾の言葉「哈日」は今や中国国内でも普通に使われている。
より重要な点は、台湾からの影響力が表層にとどまらなくなってきている点だ。
「今の中国は20年前の俺達をデジャブとしてみているようだ」
と東京を訪れた台湾人の友人は語ったが、まさにそのとおり。
今の中国ではインターネットによる表現の自由が模索され注目を集めているが、この構図は地下ラジオや地下雑誌を通じ言論の自由が模索された戒厳令解除後の90年代台湾に重なる。
また最近中国では環境問題など皮膚感覚に関わる次元で、徐々に一般市民による運動が盛んになりつつあるが、これも同じく、
90年代の台湾で盛んになった「新興社会運動」と同じ
ような構図だ。
中国では2008年、ノーベル賞を後に受賞する劉暁波を中心に「08憲章」なる署名文書が知識人の間で流布されたが、これも1979年当時の台湾で選挙不正操作告発に端を発し、民進党が飛躍する契機となった「美麗島事件」時の文書を参考にしたとの説もある。
こうした事態を知ってか知らずか、
選挙を実体験としてほとんど知らないはずの中国の若年層が、ネットTVの中継を通じて台湾総統選に熱中し、
台湾独立派のはずの蔡英文・民進党候補のファンまで出現したともいう。
こうして見ていくと、日本の中の中国批判派が今後も中国で容易に変わりそうにないものとしていつも攻撃の的にしている「民主主義」の不足といった側面が、実は中台間の交流が容易になったことにより今大きく揺さぶられつつあることがわかる。
もちろん、先にも述べたように西欧的な感覚での国家としては中国大陸は特殊と言わざるを得ず、台湾・韓国型の民主化が有効なのかどうかは未知数であり、仮に中国が民主化を遂げたとしても「中国的特色」を持つことは否定できないが。
ただ
どのように変化したとしても、そこには大なり小なり対岸の台湾における同時代的なあるいは歴史的な影響が見られる
はずであり、巷間で言われるように、
中国が台湾を一方的に併合して終わりという構図ではない
はずである。
むろん、台湾だけではなく、中華圏の香港、華人社会を抱える東南アジアや北米などの影響も排除はできない。
しかし、香港はすでに97年の返還後中国国内に組み入れられ、海外華人社会はやはり距離の問題がある。
とすると、
距離的に近くその上中国本土から相対的に自立した漢民族地域としては、やはり台湾の中国大陸への影響力というのは無視できない
と考える。
本コラムは今回は台湾海峡両岸社会の連動性について書いたが、今後は中国のみあるいは台湾のみに絞っての考察もしていく場合もある。
ただそんな場合でも、実はドメスティック(内向き)な動きも両岸(中台)関係にも規定されている面もあることを示していければと思う。
筆者は普段は仕事上、基本的には日本国内にいるが、これも中台の関係性を等距離に見ていくにはむしろ好都合と考えている。
(本田親史/国士舘大学アジア・日本研究センター客員研究員<PD>
=東京外大卒業後、報道機関勤務などを経て大学講師。2012年4月から現職)
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レコードチャイナ 配信日時:2012年5月9日 7時41分
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<コラム・海峡両岸ななめ読み>
「民主化」議論を開いていくための新たな視点―ある在米中国人の訃報から
3月末から5月初めにかけて、日本国内で大きな注目を浴びた中国関連の出来事といえば、薄煕来・前重慶市共産党委員会第一書記の事実上の失脚ということに尽きるだろう。
確かにこのことはいろんな点で重要であることに異存はないが、現時点では様々な情報が入り乱れている。
いずれ時間がこのことについての評価を明らかにするだろう―ということもあって、ここでは紙幅を割かない。
その代わり、一部を除きあまり注目度は高くなかったが、筆者個人としては感慨深かった一つの訃報について触れたい。
■思い起こされるほろ苦い日々
それは89年のいわゆる(第2次)天安門事件での精神的指導者で、事実上米国で亡命生活を送っていた方励之氏が滞在先のアリゾナ州で逝去したとの訃報である。
僕はそれを当初偶然ツイッターで見つけた。
フォローしている王丹(元民主化運動のリーダーで現在台湾・米国で研究生活を送っている)のツイッター記事だったのだが、自分の中国語読解力に自信もなかったので「あれあれ?」と思っているうちに、彼のツイートをリツイートする形である日本人が紹介していたので、「あ、やっぱり方励之は亡くなったのだ」と確信した。
NHKが彼の逝去を流したのがその数時間後。
日本のメディアはちょっと遅いと思ったのだが、その遅さよりも、その後のNHK以外のものも含めて、そして89年当時の運動に寛容であったとされる趙紫陽元総書記が2005年に逝去した時と同様、今回の方氏の訃報の扱いが日本国内では淡々としたものであったことに若干の違和感を覚えたのである。
これは、筆者がちょうどこの時期の中国民主化運動家と同世代で、にもかかわらず彼らと違って、日本国内では政治の季節が過ぎ去った世代として、彼らに対しある種の尊敬の念と後ろめたさを覚えながら生きてきたせいかもしれない。
あの当時、彼らが主張する民主について考えてみることは大事であることは分かっていながら、テレビに映る彼らの存在を意識はしながらも、筆者自身は、中国とはまるで政治的土壌が異なり、シラケの時代に入って久しかった日本社会が自らに要求すること―新卒としての就職活動に集中せざるを得なかった。
そうして入ったところを辞めてしまったのはひとえに筆者の根性のなさに帰せられるものだが、あえて強弁すると、その時の思いが消化しきれてなかったためだということも言えなくもないのかもしれない。
ともあれ天安門とは、公的な次元では中国現代史における一大転換点なのだろうが、自分の個人史にとってはそのようなほろ苦い青春の日々を思い起こさせる記号なのである。
■中国の民主化をめぐる2大論点
ところでこの中国の民主というものに関していえば、世界的にも、日本国内でも、そして現地中国内外でも、大雑把には2通りの捉え方があるようだ。
大雑把には、というのは、本来は様々なバリエーションがあるはずのものを無理やり分けた場合には、という意味で、さまざまにツッコミどころもあるだろうが、やや無謀を承知であえて大別してみる、ということである。
一つは、一応は西側に住む私達にとって馴染みのある概念で、議会制民主主義、公正な選挙の実施、法に則った国家・社会運営、「普遍的な」人権概念といった条件を前提にした民主主義概念である。
こういった次元での中国の「不足」は、なんらかの形で中国国内で民主化・人権活動家や農民、労働者に対する人権抑圧的な動きと解釈される事態が出てきた時には大きく問題化される。
また先に言及した方励之氏が逝去した場所が米国内であったこと、また最近盲目の人権活動家、陳光誠氏が保護された場所が米国大使館であると報じられていることからもわかるように(ちなみに薄熙来氏失脚の発端となった、側近の王立人氏が駆け込んだ場所も重慶の米国総領事館だったが)、こうした民主主義概念の参考となる基準は今のところ米国に置かれていると言えるだろう。
自分個人としても、こうした一連の報道がなされる時、中国に批判的な見方が出てくることは否めないところはある。
ただし、こういった次元での民主主義概念は、成熟した市民社会と、確固とした国境線が確定しているとされる、いわば社会科学上で理念型とされるような国家にしか当てはまらない、という反論はありうる。
自分個人の理解としては、それが良いか悪いかの判断はひとまず留保するが、前回も書いたように、中国の場合、今のところそんな状態ではなく、最近ようやくそうした理念型的な方向を目指し始めたのではないか、という感じにも見て取れる。
これを前提とした場合、先に挙げた西欧的な民主概念はまだ「ぜいたく品」であり、人権弾圧・抑圧的な事態には確かに問題はあるが、まずは理念的な国家の方向を目指す中国の現況に鑑みれば、社会不安を抑制し膨大な人々を食べさせていくことが先決、という考え方も出てくることになる。
この考え方は中国指導部の現状認識にも重なってくるところもあるだろう。
この2つの考え方は、当然共通点より、違いのほうが多く、それゆえに自分の知りうる限り89年以降の日本国内の文脈では周期的に論争が発生し、かつその時々で対立関係が表面化してきたように見受けられる。
自分個人としては、詳細は省くがこの2つの考え方はそれぞれに一長一短があり一概にどちらが絶対的に正しいとは言い切れない。
前者の感覚は自分が身を置く日本の現実からしても、いわば生来的に、またその後の職業などを経て刷り込まれたデフォルトの感覚であることは否めない。
しかし一方、自分を日本という場から引き離してみた上で中国は特殊であるという特殊論に立つと、確かに後者の考え方も十分に成り立つことも理解できる。
したがって自分としてはどちらが正しいかという価値判断はひとまず留保せざるを得ないが、ここでは次元の異なる別の論点を提起したい。
■まずは足元を見直すことから
それは民主化問題に限らず中国に関わる話題は中国専門家の間でのみしか論じられない傾向があるために、議論が狭い専門家間の中だけに限定され、広く世間一般に共有されず関心が得られていない、ということである。
もともと知識というものは専門家と初心者の間の格差が大きいものではあるが、特に「中国」に関する知識量は、日本国内では専門家と、初心者・素人の間では格差が大きすぎるのである。
例えば専門家がシンポジウムで中国革命の意味について口角泡を飛ばして議論し合っていても、それを聴く聴衆のかなりの部分は実は中国がいつ建国されたかさえも知らない、という状態もザラである。
中国民主化問題についても然りで、専門家間の議論が広く共有されないがゆえに、世間一般的には「メディアで騒いでいるけどよく分からない」ひいては「なんか怖い」という人の方が多いというのが正直なところなのではないか。
その知識量の格差は、天安門事件が収束してしまった原因の一つとして、当時の中国国内でやはり知識人である民主化運動家とそれ以外の人々、特に労働者層との知識格差が大きかったことをも彷彿とさせる。
しかしグローバル化がもはや定着し、日本に定住する中国(籍)人、のみならず日本で生まれ日本語で成長したその子弟、海外旅行の解禁に伴う中国人観光客が急増し、すぐお隣は中国の人という時代になった今、専門家ではない人にも中国に対する一定のリテラシーが求められるようになってきている。
ということは中国民主化に関する議論も、閉じた専門家間ではなく非専門家にも開かれたものになっていく必要があるということだ。
そのためにはどのようなことが今後求められていくだろうか。
筆者は、中国の状況を日本という足元から切り離して対岸のものとして考えるのではなく、足元の日本の状況をまず考えてその延長線上で考え、また翻って中国の状況から日本の状況を考えることを提起したい。
言い換えれば中国の民主化・人権状況についてはいろいろ言われているようだが「じゃ日本はどうなの?」と自らの足元をも振り返る眼差しをも持つことも必要ではないか、ということだ。
これは筆者個人の見解だが、中国の民主化が議論される時それを論じる場である日本の状況は全く捨象されているように思う。
しかし実は日本においても民主主義概念・人権状況は十全ではなく、中国の状況「だけ」を批判できるような状態にはないのではないか―というのが筆者個人の考えだ。
■日本の「状況」も俎上に
論拠は複数あるが、その一つとして、日本でもまだ死刑執行が完全には廃止されていない、ということを挙げておきたい。
むろん日本の場合、死刑執行に至るまでの法的手続きは慎重に踏まえられてはいるだろうし、世界的な死刑批判の潮流の中で執行数はそう多くはなくなってきているのかもしれない。
だが未だに死刑が廃止されていないという点では、より人権意識の進んだ地域から見れば中国も日本も大同小異ではないのか。
筆者個人は、死刑執行数という分かりやすい指標以外でも、日本社会のさまざまな場において理想的な民主・人権概念が完全に浸透しているとは到底思われず、目には見えにくいし中国とは種類は違うかもしれないが、抑圧的な状況は日本国内にも多々あると考える。
いや、おそらく民主主義の本場とされる米国でも、その社会の仕組みの複雑さを考えると実はなおさらそうなのではないか。
こうした考え方に立つ場合、中国の民主化状況を批判することは「あり」であり必要ではあるだろう。
が、それが中国の状況「だけ」を抽出して批判することに終始しているだけでは、中国に深いリテラシーを持たない日本社会一般に関心は共有されず、これまでの閉じた議論のパターンを踏襲することになりかねない。
そうではなく中国の状況を考える延長線上で、日本の状況をも俎上に載せ、まずは足元で起きている事態をも批判的に考えていくべきであり、その上で日中以外の対象にも比較の幅を広げるべきではないのか。
そのためにはこれまでとは違う形で、より地域を問わず通用するような、より普遍的な民主主義概念を、一つの基準として創りあげていく必要があるだろう。
その際に、中国大陸とも、日本ともある程度は類似した歴史的過程を持つ台湾の経験もかなりの程度参考になるのではないだろうか。
(本田親史/国士舘大学アジア・日本研究センター客員研究員<PD>)
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「死刑が廃止されていないということは、人権が確保されていないということだ」
とは、一人ひとりよがりのまあいい加減な発想。
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