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● 『失敗の本質~日本軍の組織論的研究』
戸部良一、寺本義也、鎌田伸一、杉之尾孝夫、村井友秀、野中郁次郎・著
左:単行本(ダイヤモンド社:1984/5) 右:文庫版(中央公論社)
『
ダイヤモンド社書籍オンライン 2012年4月5日
http://diamond.jp/articles/-/16953
なぜ、今『失敗の本質』なのか?
これから読むための7つのヒント
[鈴木博毅]
なぜ今『失敗の本質』なのか?
震災以降、国の対応に不満を持った人たちから「『失敗の本質』を読み返すべき!」という声が続々生まれ、30年前の古典が再び脚光を浴びている。
また、ソニーをはじめとする日本企業の凋落、グローバル競争で次々と敗れる日本企業の閉塞感を前に、日本人は自らの思考・行動特性について考えざるを得ない状況になっているようだ。
なぜ、日本は敗れてしまうのか?
その答えこそ、日本軍の組織的敗因を分析した52万部のベストセラー『失敗の本質』に隠されているようだ。
この連載では、この難解な名著をやさしく読み解くヒントを紹介する。
■『失敗の本質』が予言した現代日本
「平時的状況のもとでは有効かつ順調に機能しえたとしても、危機が生じたときは、大東亜戦争で日本軍が露呈した組織的欠陥を再び表面化させないという保証はない」
上記は1984年に発刊された、『失敗の本質』の序章からの抜粋です。
日本的組織論・戦略論の名著である書籍の言葉は、まるで現代日本を予言していたように聞こえないでしょうか?
想定外の変化、突然の危機的状況に対する日本の組織の脆弱さは、私たちが今まさに痛感するところです。
名著にズバリ「予言された未来」を現代日本は体験しているかのようです。
その『失敗の本質』が今、再び脚光を浴びています。
同書は初版以降28年間、毎年売れ続けている驚くべきロングセラー書籍ですが、昨年(2011年)は前年比約2倍もの販売数を記録。3・11の大震災後は有識者の記事等にも引用され、改めて多くの注目を集めてきました。
震災後に掲載された、経済評論家の池田信夫氏のブログ記事
http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51692957.html
日経ビジネスオンラインの記事
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20110715/221508/?rt=nocnt
一時は世界市場を席巻した日本製品と日本企業が販売競争に負け、出口の見えない閉塞感と業績失速に苦しむ現状。
超円高やエネルギーの問題。私たち日本人を取り巻く環境は、平時的状況ではなく「想定外の変化」を迎えているのです。
■『失敗の本質』が注目される理由
日本人と日本的組織、5つの弱点
では、なぜ今、『失敗の本質』が注目されているのでしょうか?
その理由は約70年前に日本軍が敗北した大東亜戦争末期と、現在の日本が直面する問題、日本的組織の病状があまりにも似ているからでしょう。
多くの日本人が、その不気味な類似点に驚き、不安さえ感じているのではないでしょうか。
以下、大東亜戦争末期の日本軍と現代日本に共通する5つの弱点を挙げてみましょう。
(1)平時には順調でも、危機には極めて弱い
技術立国と自負していた日本ですが、原発事故の対応では世界中から不安の目を向けられ、危機管理能力のなさを厳しく指摘されました。
また、日本はロボット王国と言われながらも、原発の事故現場で活躍したのは米国iRobot社製。
日本製ロボットは原発事故での活動を想定しておらず、実際の投入では、がれきや狭い通路などに阻まれて身動きが取れない状況に陥ったことは皆さんもご存じでしょう。
日本軍も自ら立てた作戦が予定通り実施できた時期は順調でした。
ところが、計画が少しでも狂うと途端に弱さを露呈してしまったのです。
(2)上から下へと「一方通行」の権威主義
どれだけ現場最前線の士気と能力が高くても、戦略や作戦を決める上層部が愚かな判断を続ければ敗北します。
上層部が現場の声をまったく活かすことなく失敗を繰り返す姿は、日本軍と現代日本の組織にも共通しています。
(3)リスク管理ができず、人災として被害を拡大させる
企業の不祥事の多くは「問題の芽を放置した」ことで悲劇を迎えます。
日本海軍の戦闘機「零戦」には防弾装備がなく、空母も被弾するとすぐに炎上してしまいました。
あの時代も現代も、日本人のリスク管理思想には重大な欠陥があるのではないでしょうか。
(4)戦局の「後半戦」に弱い日本人の思考習慣
大東亜戦争でも、日本軍は戦局の前半は快進撃でしたが、後半では劣勢を挽回できず、雪崩を打って敗北を重ねました。
戦後経済の前半では「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と言われた日本も、後半戦である1990年代以降は、長期にわたる閉塞感に効果的な打開策を見つけられずにいます。
(5)問題の枠組みを新しい視点から理解できない
日本を代表する家電メーカーであるソニー、パナソニック、シャープの大幅赤字や、日本唯一のDRAM専業メーカーだったエルピーダメモリが今年2月に会社更生法を申請したニュースなどは皆さんの記憶にも新しいと思います。
日本企業は「高い技術力では負けていない」と言われますが、企業業績上の敗北は明白です。
「技術以外の要素」が勝利に必要なのに、高い技術のみを誇る価値があるのでしょうか。
日本軍の世界最大の戦艦「大和」は米軍航空機に撃沈されました。
すでに戦艦の巨大さが勝利の要因ではなくなっていたからでしょう。
■私たち現代日本人が、
『失敗の本質』を読むべき3つの理由
私たちが現在『失敗の本質』を読むべき理由はいくつも挙げることができますが、特に大きな理由を以下に3つ記載します。
(1)大震災と原発事故が教えた日本的なリスク管理の危険性
コンティンジェンシー・プラン(万一の事態に備えた計画)が不在であることは日本軍と現代日本組織に共通する大きな欠陥です。
変化の激しい時代に、適切なリスク管理ができないことは、今後さらなる危険を生み出すことにつながります。
「想定外」という言葉が、不適切なリスク管理の免罪符となる状況は、そろそろ終わりにすべきではないでしょうか。
(2)日本企業の劣勢、突破口が見えない閉塞感の時代
過去に世界市場を席巻した日本企業が、苦戦・敗北をしています。
しかし、日本企業も日本人も努力を怠っているわけでは決してありません。
だからこそ、既存の戦術に固執して無残に敗北した、日本軍と同じ失敗を疑う必要があるのです。
以下は『失敗の本質』で紹介された2つの概念です。
シングル・ループ学習 = 問題の構造が固定的だと考えること
ダブル・ループ学習 = 問題の構造は変化することもあると考えること
(例)前者は「高い技術」のみがビジネス唯一の成功要因だと盲信すること。
(例)後者は「技術」以外にもビジネスの成功要因があると考えることです。
日本企業の閉塞感は、ダブル・ループ学習ができないことに最大の原因があるのではないでしょうか。
ある努力を続けて結果が出なければ、その努力は問題解決の鍵ではないと判断すべきなのです。
(3)日本の歴史上、最大の悲劇かつ失敗を生んだ組織上の歪み
戦闘員、民間人を含めて300万人以上の日本人が亡くなった大東亜戦争。開戦から一時の快進撃を経て、転がり落ちるように敗戦を迎えた日本軍には独特の組織的な歪みや欠陥が存在していました。
順調に物事が進むとき、日本軍は快進撃を続けましたが、変化を体験するたびに硬直的な思考で成果の出ない作戦を繰り返し現場に強要し続けて、敗北を早めました。
また日本軍上層部の官僚主義は優れた現場能力のある人材を遠ざけ、失敗した無能な人物の責任も追及しませんでした。
組織の歪みが是正されないことで、大きな悲劇が生まれたのです。
とても残念なことですが、3点のいずれも私たちは「克服できた」実感がまるでありません。
戦後70年近くを経た今こそ、日本は過去の弱点を克服し、同じ失敗から卒業すべきではないでしょうか。
■困難を耐え忍ぶだけでなく、
新たな学習を成し遂げるチャンスへ
大震災において、明るい兆しと言われた点の一つに、日本人の道徳観、粘り強さが健在だったことが挙げられます。
災害直後から群集心理などによる暴動もほとんど起こらず、多くの日本人が秩序を守りながら必死に耐えた姿は、世界中に報道され深い感動を呼びました。
しかし、大災害だけではなく、経済、政治、社会体制など多くの面で日本は難問を抱えており、多くの困難を「耐え忍ぶ」だけで打開できるかは大いに疑問です。
危機的状況から将来の成功を生み出すためには、過去を乗り越えることを目標に、新たな学習を成し遂げることが大切です。
そのために重要なことは、日本と日本的組織で繰り返されている失敗を突き止め、再発を防止できる知恵を得ることです。
日本軍は大東亜戦争を、極めて日本的な発想で戦い、緒戦の快進撃を除いては敗北を続けたのですから。
日本的組織を分析した『失敗の本質』が、初版からずっとベストセラーであり続けているのは、私たち日本人が知りたい答えを示唆しているからだと思われます。
一方で、名著『失敗の本質』は、28年間読み継がれ、累計52万部のベストセラーであるのに、なぜ私たちは名著の教えを習得できていないのか?
『失敗の本質』がやや難解な書籍であり、読み解くことが難しいこともその一因かもしれません。
■難解な『失敗の本質』を
読み解く7つの視点
名著『失敗の本質』をわかりやすいエッセンスとして読み解くためには、以下の7つの視点を使うと、急速に理解が進みます。
(1)「戦略性」
日本人が考えている「戦略性」と米軍が考えた「戦略性」には違いがあります。
米軍は一つの作戦、勝利が最終目標の達成につながる効果を発揮したのに対して、日本軍は目の前の戦闘に終始して最終目標の達成に近づくことができませんでした。
(2)「思考法」
大東亜戦争にも現代ビジネスにも共通する「日本人特有の思考法」の存在。
練磨と改善には強く、大きな変化や革新が苦手で柔軟な対応ができない。
日本海軍の名戦闘機「零戦」は部品1点にも軽量化の工夫が随所に凝らされた、改善努力の結晶でした。
しかし、防弾装備を省いてまで実現した軽さが、米軍の進化で空戦の優位を失った時、日本軍は方向転換をする決断ができず、撃墜され続ける状況を変えられませんでした。
(3)「イノベーション」
既存のルールの習熟を目指す日本人の気質は、大きな変化を伴うイノベーションが苦手だと言われています。
その気質や思考法がイノベーションを阻害するだけではなく、日本独特の組織の論理が過去の延長線上を好み、変化の芽を潰す傾向があるのもまた事実でしょう。
スティーブ・ジョブズやビル・ゲイツが日本から生まれない理由は、個人の思考法だけではなく、組織の歪んだ論理にもあるはずです。
(4)「型の伝承」
実は創造ではなく「方法」に依存する日本人。
私たちの組織文化の中にある型の伝承という思想が、イノベーションの目を潰す悪影響を生んでいる可能性も高いのです。
日露戦争で勝利した日本軍は、その戦闘方法を「型として伝承」し学習させたため、大東亜戦争では時代遅れの戦術に固執することになり、戦局の変化に対して新しい創造ができませんでした。
成功を生み出した真の因果関係を探るのではなく、成功した時の「行動」を繰り返して追い込まれていく姿は、ビジネスにおける国際競争で劣勢を挽回できない日本企業に重なります。
(5)「組織運営」
日本軍の上層部は、現場活用が徹底的に下手でした。
組織の中央部と現場は緊密さに欠け、権威で現場の柔軟性を押さえ付けました。
その結果、硬直的な意思決定を繰り返して敗北したのです。
上層部が頭の中でだけ組み立てた作戦は、現地最前線の過酷な現実の前に簡単に打ち砕かれていきます。
一方で、最前線には、戦場の実情を正確に見抜いていた優秀な日本軍人もいたにも関わらず、活用する能力がまったく欠けているのは、現代日本と日本軍にまさに共通の欠陥です。
(6)「リーダーシップ」
現実を直視しつつ、優れた判断が常に求められる戦場。
環境変化を乗り越えて勝つリーダーは、新しく有効な戦略を見つけることが上手く、負けるリーダーは有効性を失った戦略に固執して敗北を重ねます。
組織内にいる、勝つ能力を持つ人物を抜擢できることも、優れたリーダーの資質です。組織人事の優劣は、危機を突破して勝利するか、打開策を見つけられずに敗北するかの大差を生み出す要素なのです。
(7)「日本的メンタリティ」
「空気」の存在や、厳しい現実から目を背ける危険な思考への集団感染は、日本軍が悲惨な敗北へと突き進んだ要因の一つと言われます。
そして、被害を劇的に増幅する「リスク管理の誤解」は、現代日本でも頻繁に起こっていることですので、皆さんもよく理解されていると思います。
リスクを隠し過小評価することで被害を増大させる日本軍と、リスクを積極的に探り出して徹底周知させて対策を講じる米軍では、時間の経過で戦闘力に大きな差が生まれたのは当然ではないでしょうか。
いま挙げた7つの視点は、私たち現代日本が今こそ深く理解すべき課題だと感じます。
同じ失敗を繰り返して反省する日本の姿にうんざりしている読者の方も多いはず。
失敗を再発させず、新たな勝利を掴むための英知が求められているのです。
『失敗の本質』を7つの視点で読み解くことは、名著の新たな学習方法のススメでもあります。
今、私たちに最も必要な学びを効率的に進めてはいかがでしょうか。
』
● 1991/08/10初版
『
ダイヤモンド社書籍オンライン 2012年4月17日
http://diamond.jp/articles/-/17185
なぜ、日本人は「空気」に左右されるのか?
日本軍も陥った4つの罠
[鈴木博毅」
30年前の名著『失敗の本質』が今、熱い。日本軍の組織的失敗を分析した同書からは、行き詰った日本企業、日本社会の再生へのヒントが満載だ。
今こそ、日本的組織の本質を問うべき時がきている。
名著が分析した日本軍の敗因は数多くあるが、その中でも日本人の特性を象徴しているのが「空気」の存在。
開戦時は多くの日本人が正確な情報を知らぬまま戦争に賛成していたのは事実である。
また、開戦後も軍部の暴走によって次々と非合理な作戦が実施された。
なぜ、日本人は「空気」によって不可思議な判断をしてしまうのか。連載第4回では、その秘密を解き明かす。
■それでも日本人は戦争を選んだ。
戦争賛成派が多かった謎
名著『失敗の本質』は、1939年に国境紛争として起こったノモンハン事件と、大東亜戦争における5つの軍事作戦の、計6つの作戦を日本軍の組織的な失敗例として取り上げて分析した書籍です。
戦争は私たち現代日本人にとって忌むべきものであり、二度と起こしてはならないことは明白です。
暗く悲惨な戦争の歴史を振り返るとき、「平和」の大切さは一層重みを増してきます。
しかし、多くの史実から太平洋戦争初期には、戦争に賛成する日本人が多かったことが指摘されています。
よく言われるように、一部の軍人が戦争を始めたのではなく、戦争を選んだのもまた日本国民の総意であったと言えるのです。
なぜ、あのときの日本人は、戦争に賛成してしまったのでしょうか。
『証言記録 兵士たちの戦争』(日本放送出版協会)等の書籍では、戦争初期に最前線に向かう日本の兵士は比較的楽天的で、日本軍が負けることなどまったく想像していなかったのを伺わせる証言が残っています。
また、『失敗の本質』で分析された各作戦においては、戦闘方法自体が効果を発揮していないにも関わらず、何度も同じ方法で部隊を投入して、敗北を重ねる姿が浮き彫りにされています。
70年以上を経た今から見ても、日本軍がどうして「そういう方向」へ向かって行動したのか、わからないことが多々あります。
そこには、危機的状況に陥ったときに合理的な判断を奪う、極めて日本人的な特性が見え隠れしています。
日本人は一つの目標が設定されたときには一致団結して立ち向かう強さを発揮しますが、逆にその強さゆえ、設定した目標自体を揺るがすような意見は徹底的に排除するような特性を持っています。
戦時中、反戦思想を持つ国民を誰より強く糾弾したのも、同じ日本人の隣人でした。
今でも、企業の不祥事や方向転換を拒んで経営破綻した企業のニュースを耳にするたびに、外側から見れば不思議に思えるようなことが多々あります。
けれど、当事者からすれば、「そうせざるを得なかった」という極めて日本人的な組織の発想によって行動を左右されている事実があります。
なぜ、日本人は開戦時、戦争に対して好意的だったのでしょうか。
そして、開戦後、なぜ日本軍は合理的な判断ができなくなってしまったのでしょうか。
今回は、『失敗の本質』で取り上げられている、日本人の判断に影響を与える「空気」の存在について紹介しましょう。
■オセロの白が
一瞬ですべて「黒」に変わる
ロングセラーとなっている『「空気」の研究』(山本七平/文春文庫)に、興味深い事例が出てきます。
海軍の伊藤長官と三上参謀が、戦艦「大和」の沖縄特攻について交わした会話です。
伊藤長官は作戦検討の過程で醸成された「空気」を当初知らないため、「大和」の出撃を当然のごとく反対します。
軍人から見れば「作戦として形を為さない」ことは明白だったからです。
しかし、反対していた伊藤長官は、三上参謀の次の言葉で「空気」を理解するのです。
三上参謀:「陸軍の総反撃に呼応し、敵上陸地点に切りこみ、ノシあげて陸兵になるところまでお考えいただきたい」
伊藤長官:「それならば何をかいわんや。よく了解した」
まるでボードゲームのオセロで、白の石がすべて一瞬で黒に変わるような瞬間です。
合理的な思考から当然の反対を唱えていた伊藤長官は、まさに空気を理解しただけで一瞬のうちに結論を180度変えてしまいます。
この短い会話をどのように解釈するか、さまざまな見解があると思いますが、白か黒かをある一点の議論で染め抜いてしまい、本来白と黒が混在しているはずのものを一瞬にして一色に変えてしまったことは事実です。
三上参謀の発言は
「兵士が犠牲になっても大和特攻でその精神を見せるべき」
という意図があると推測されますが、本来「大和の沖縄出撃」は、海軍とその乗組員が敢闘精神を発揮する、というだけの問題ではありません。
「大和」の沖縄出撃という大問題は、さまざまな要素を含んでいたはずです。
海軍のメンツや覚悟もあったのでしょうが、他の要因「兵員の生命」「作戦成功率の問題」なども当然存在したはずです。
■愚かな決定によって
「白骨街道」が生まれた
『失敗の本質』でも分析されているインパール作戦は、日本の第15軍司令官牟田口中将が中心となり、2000メートル以上の大山脈を越えてインドの国境地帯に進出する作戦ですが、補給の成算がないという、ずさん極まるものでした。
武器弾薬が極度に欠乏し、インパールへ向かった日本軍は追い込まれ、
「銃を撃ってくる相手に石つぶてを投げて応戦した」
場面もあったほどです。
餓死者が続出する極限状態に陥ってもなお、河辺司令官と牟田口中将は撤退を決断できず、その2か月後にようやく撤退命令が出されると、日本軍が退却する道は、あまりに犠牲者が多いことで「白骨街道」と呼ばれます。
では、なぜこのような「驚くべき悲劇」を生み出す決断がなされたのでしょうか。
何が愚かな決定をつくり出したのでしょうか?
■「指揮官の個人的な熱意」は
作戦遂行の判断材料か?
牟田口中将は、ある日本軍参謀に
「アッサム州かベンガル州で死なせてくれ」
と語り、並々ならぬ熱意を訴えかけたとされています。
また、上官である河辺司令官は私情から「何とかして牟田口の意見を通してやりたい」と考えていたようです。
しかし、ここで重要な点として、作戦遂行の可否を決断する際に、一指揮官の個人的な心情と上官との人間関係が
「GOサインを出す」
ための何割程度の根拠となるべきか、という問題です。
当然のことですが、「軍事作戦」ですので、作戦の戦略的意義と勝算の有無こそが「GOサインを出すか否か」の判断基準の100%を占めるべきです。
同様に、戦艦「大和」が護衛の戦闘機のないまま沖縄へ向けて出撃する際にも、
「作戦の成否勝算」よりも、海軍の「敵上陸地点に切りこみ、ノシあげて陸兵になる覚悟」
によって上層部は「大和」特攻の「空気」を理解したのです。
■議論の可否と関係ない「正論」で
誤った判断を導く罠
注意すべき点として、インパール作戦を熱望する牟田口中将や「大和」の沖縄特攻の主張には、小さな「正論」が含まれていることです。
(1)指揮官が作戦への積極性を持つ
(2)海軍側が、沖縄の上陸地点に乗り上げて陸兵になる強い覚悟
このような、ある種「小さな正論」があることで、軍事的合理性や勝算、補給などの準備ができるかどうかなど、本来、作戦可否を決定する正しい比率を歪める悪影響を及ぼしているのです。
同じようなことは、実は日本の組織・社会では頻繁に起こっています。
不祥事の隠ぺいがニュースとなるとき、
「特殊な空気に包まれてしまった」
という述懐がよく行われますが、この場合、「空気」は何かしらの説得的な効果を持って、不祥事を公表するより「黙っておいたほうがいい」と集団に思わせたということになります。
本来、適切に行われるべき議論を封殺するのは、空気の得意技というところでしょうか。
私たち日本人は、ある一つの事象を見て「全体像を類推する」ということをよく行います。
座敷に上がる際に、脱いだ靴の揃え方で相手の性格を断じることもあるかもしれません。
逆に言えば、身なりがきちんとしていることで、相手の行動を詳しく確認せずに「信頼できる人物」と思い込んでしまうこともあるでしょう。
悪意を持ってこのような「歪んだ判断」を誘導するために、例えば靴の揃え方が悪いだけで、営業マンとして無能で出世させてはいけない人間だと断じることも可能です。
空気の醸成とは、本来可否の判断に「関係のない正論」を持ち出して、判断基準を歪めることで間違った流れを生み出すことです。
その影響は、以下の2つの形で及ぶことが多いようです。
(1)本来「それとこれとは話が別」という指摘を拒否する
(2)一点の正論のみで、問題全体に疑問を持たせず染め抜いてしまう
悪意を伴った空気の醸成は、大東亜戦争のみではなく、現在の日本社会でも頻繁に見られる現象であり、正しい議論と判断を妨げるこの国の大きな足かせとなっています。
一度皆さんも周囲で聞く議論をこの視点から眺めてみると、あまりの不条理さに驚くことになるのではないでしょうか。
■正しい方向転換を妨げる
空気を生み出す「4つの要素」
日本軍はなぜ、正しい方向転換ができなかったのでしょうか。
なぜ、合理的な判断を妨げる「空気」というものが醸成されてしまったのでしょうか。
日本軍の作戦過程で何度も出現した「空気」について理解するために、現在、経営学等でも指摘されている、集団が誤った結論に飛びついてしまう心理的要因をもとに、以下の4つの要素にまとめてみましょう。
(1)既にある多くの犠牲を取り戻したい心理(埋没費用)
サンク・コスト(埋没費用)は経済用語の1つでもあるのですが、簡単にいえば既に投下したが、回収不能だとわかったコストを意味します。
既に多くの犠牲を払ってしまったプロジェクトに対して、完成しても採算が取れないと(途中で)わかった場合でも、多くの人は投入した損失そのものを取り返すために、さらに損害を重ねることがあります。
日本軍の参謀たちは、ずさんな作戦計画で多数の兵士が犠牲となった戦場に、あくまで固執して部隊を投入しています。味方兵士の多大な犠牲を払ったことで、逆に勝つまで撤退できないと強く思い込む心理は、まさにサンク・コストの罠にはまっています。
(2)未解決の問題への心理的重圧から逃げる
問題に対して解決策を見つけられない状態は、大変ストレスが溜まります。
特定の集団が、ある問題に対して苦労して解決策を導いた場合、その解決策が実施の際に適切に機能しなくても、未解決の状態に戻りたくないという心理が働くことがあります。
当初組み上げられた「作戦計画」が上手くいかないことを認めると、未解決の状態へ逆戻りすることになります。
この心理的重圧から逃げたいという欲求で、上手くいかない現実を認められない状態になるのです。
(3)愚かな判断を生む人事評価制度
日本軍は「やる気を見せること・積極性」が組織内の人物評価として重視され、戦果や失敗責任については考慮される比率が低い集団でした。
この歪んだ人事評価制度はのちに、無謀な作戦を実行し責任を取らない人物を日本軍の内部に増加させてしまい、敗北を決定的にします。
組織内政治、ゴマすりばかりが上手な人物が出世することになれば、実務能力があり判断の優れた人物が無能な人間の指揮下に入ることになり、前線の混乱と敗北は避けられないでしょう。
組織は内部で出世させる人物の「基準」によって、極端に無能になることもあれば、極めて優れた成果を生み出す集団にもなるのです。
(4)グループ・シンク(集団浅慮)の罠
特定の集団内における関係性、立場などを客観的な事実より優先して物事を判断すれば、現実世界における目標達成力を失う原因になります。
歴史の長い老舗企業、巨大組織などで過去の関係性、肩書き、人間関係などが判断において大きな比重を占めるなら、その集団は外部における現実への対応能力を大きく損なうことになるでしょう。
ビルマ防衛の体制を崩壊させたインパール作戦では、牟田口中将が個人的な想いからインド国境への進軍をたびたび進言しますが、あまりの非合理さから日本軍内でも否定的な意見が相次ぎます。
しかし、牟田口と人間的な関係が深かった上司、河辺方面軍司令官は私情に動かされて無謀極まる作戦を止めませんでした。
非現実的な判断と行動の結果は、参加人員約10万のうち戦死者約3万、戦傷・後送者約2万、残存兵力約5万のうち半分以上が病人という「莫大な犠牲」で終わりました。
以上が「空気」を生み出す4つの要素ですが、戦時中、日本人が合理的な議論を放棄して盲信してしまった事実は、大いに反省すべき点です。
上層部の作戦に関わらず、大東亜戦争開始時には、戦争に反対する日本人より、戦争に肯定的だった日本人のほうが多かったこともまた事実なのです。
現代の日本企業においても、「空気」によって合理的な判断が妨げられている企業は数多く存在しているはずです。
敗戦という悲劇の歴史を忘れず、これからの日本と日本人は、「空気の欺瞞」を打ち破ることを肝に銘じるべきです。
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◆第1回◆
なぜ、今『失敗の本質』なのか?
これから読むための7つのヒント
◆第2回◆
大東亜戦争の敗因から学ぶ
現代にも通じる6つのターニングポイント
◆第3回◆
日本からジョブズが生まれない4つの理由
戦時中から変わらない日本的組織の謎
◆第4回 (本編)◆
なぜ、日本人は「空気」に左右されるのか?
日本軍も陥った4つの罠
◆第5回(最終回)◆
4/24日公開予定
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