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● 韓国弓
http://koreanworld3.web.fc2.com/enjoylogs2/2007-01/20070101-155350.html
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朝鮮日報 記事入力 : 2012/04/01 08:47
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2012/04/01/2012040100065.html
「日本は刀、韓国は弓の国」
『弓をひく-静けさの動学、国弓』の著者、金炯国・ソウル大学名誉教授
「弓を引く瞬間は的だけが見える。
緊張の中で見詰める的は、ある瞬間、なんとしても到達すべき深い願いの化身になる。
過去に対する後悔もなく、
未来に対する不安もない時間」
弓を手にして的を狙うまで、5秒から10秒ほどの時間が流れる。
そしてついに手が弓の弦から離れ、2秒後には、的に当たる「タン」という音が響く。
「私と的が一つになる『物我一体』の瞬間」
と語った。
『弓をひく-静けさの動学、国弓』(ヒョヒョン出版)の著者、金炯国(キム・ヒョングク)ソウル大学環境大学院名誉教授(69)。
2006年に出版され、今や忘れられてしまったこの本は、昨年公開された映画『最終兵器 弓』の人気に助けられ、再版された。
「映画のおかげで弓に対する関心が高まり、感謝している。
映画に出てくる的は、私の本を見て考証したのだそうだ」
「耳順」すなわち60歳で国弓(韓国の伝統弓術)に入門した金名誉教授は
「弓を引く中で、自然と文献を探るようになったが、整理する必要性を感じた」
と語った。
金名誉教授の著書は、弓の社会文化史に対する総合的アプローチを試みた初めての書籍だ。
古代中国の兵書や朝鮮時代の文献を参照し、韓国の弓の歴史を掘り下げ、現代韓国での「国弓」文化の現場を細かく記録した。
「舞踊塚(吉林省集安)の高句麗古墳壁画“狩猟図”に出てくる弓を見ると、今の角弓と形が全く同じ。
弦を張ると、二つの峰からなる大きな山、あるいはアルファベットのMの大文字が広がったような形だ。
西洋の弓は半円形に曲がっているだけだが、韓国の角弓は湾曲点が五つもあり、それだけ強い推力が生じる」。
後期旧石器時代に登場した弓は、青銅器時代に入ると一般化した。
韓国の青銅器時代の遺跡から矢尻が多く出土している点や、昔から韓民族が「東夷」族と呼ばれていたことは、韓国の優れた弓の歴史を示す証拠とされる。
金名誉教授は「よく、中国人はやり、日本人は刀に秀でており、韓国人は弓が得意だと言うが、この場合の弓は“片箭(へんせん=通常の半分サイズの弓)”。
映画『最終兵器 弓』で主人公が使った弓(エギサル)が、まさにこの片箭」と語った。
竹を半分に割った「桶児」に矢を入れて射る片箭は、普通の矢(70-80センチ)に比べ長さが半分程度しかなく、管を通って矢が飛び出すため、より遠くまで飛び、正確に当てられるという。
弓にまつわる歴史物語は、興味深い。
朝鮮王朝第22代国王の正祖は、50本の矢を放つと49本を命中させるほどの弓の名手だった。
「50本全て命中させたという記録はない。
49本命中させると、最後の矢は空中に放ったり、草むらに射込んだりした。
完全な境地に至ると、次はそれ以上できなくなるため、わざと矢を外したということだ」。
金名誉教授は
「忠武公・李舜臣(イ・スンシン)の弓術は“同苦同楽”のリーダーシップ」
と語った。
李舜臣の『乱中日記』には、弓術に関する記録がおよそ270件も登場する。
壬辰倭乱(じんしんわらん=文禄・慶長の役)が起こった年(1592年)の3月28日付の日記には、一巡で5射ずつ、合わせて十巡を射て42本を命中させたと記されているが、これは現在の基準で、弓道8段を越える腕前だったということになる。
金名誉教授は
「忠武公は、弓術を戦闘訓練だけでなく、娯楽としても活用した。
娯楽を通じ親睦を深める、現代のゴルフコンペのようなもので、厳格な階級社会の中で将軍と部下が心を開ける交流の場だった」
と語った。
韓国で、武器としての弓の役割は、壬辰倭乱に直面したことで揺らぎ始めた。
日本は、主力の武器を弓から火縄銃に変えていたが、韓国は大きな戦乱に直面してようやく、弓の戦闘能力をこれ以上信じることができないことを悟ったという。
弓矢は全身をさらさなければ射ることはできないが、火縄銃は木の陰に隠れていても撃つことができる新兵器だった。
「とはいえ、海戦では依然として有効だった。
李舜臣将軍が日本軍に大勝利を収めることができたのも、弓の威力のおかげだった。
海戦では、わざわざ身を隠す必要がない上、火縄銃の有効射程距離が60メートル程度なのに対し、弓の有効射程距離は150メートルで、はるかに遠くまで正確に飛んでいくからだ」。
国弓を始めた時期は遅かったものの、弓は引けば引くほど、弓について学べば学ぶほど妙味があるという。
2002年に初めて弓を手にしてから、もう10年になる。
「親しい友人の康泓彬(カン・ホンビン)ソウル歴史博物館長が、“ストレス解消にこれほどいいものはない”と言って何度も誘ってくれた。
ゴルフは好きではないので、勇気を出して弓に挑戦してみたのだが、弓を引くことで歴史をより深く理解するようになった」。
現在、国弓の人口は韓国に3万人程度。
金名誉教授は毎日、社稷洞(ソウル市鍾路区)の黄鶴亭で弓を引いて「精を出す」という。
専攻は都市計画学だが、音楽・美術にも広く関心を持っている。
画家の故・張旭鎮(チャン・ウクチン)の伝記も執筆した。
「私が変わっているわけではない。
昔から、ソンビ(学者)は馬にも乗り、文も書くなど、全てこなしていたではないか。
私がソウル大学の文理学部に通っていたころは、大学教育とは職業教育ではなく、教養教育だった」。
金名誉教授は
「弓を引くのは、没我(我を忘れること)と集中の美学」
と語った。
「どんなにストレスがたまっていても、弓を引けば、頭がすっきりする。
集中が高まると、無我の境地に至る。無心の極致は、逆に専心の極致だ」
』
なにか大仰なことを言っているが、どこかピントが外れている。
私も和弓の段位を持っているので、特にそう感じるのかもしれない。
「国弓の人口は韓国に3万人程度」という。
人口比でゆくと日本は韓国の2.5倍だから、和弓人口なら8万人くらいだろうか。
Wikipediaによると「全国各地区の弓道連盟(地連)の登録人数は約12万6000人」とある。
1.5倍ほど多いということになる。
日本での弓については平家物語の那須与一の話にみるように、古くから人々の心にすんなりと入り込んでいる。
あえて、どうこうするものでもない。
「日本は刀、韓国は弓の国」なんていうのは、少々言い過ぎである。
井の中カワズ、だろう。
『
韓国弓の作り方 パート1---パート3
http://say-move.org/comeplay.php?comeid=218817
http://say-move.org/comeplay.php?comeid=219125
http://say-move.org/comeplay.php?comeid=326121
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韓国の弓は短弓で、その製作過程は一級技術である。
見ていて面白い。
和弓は現在ほとんどグラスファイバー製のポピラーなものになっているが、この複雑な韓国弓の仕組みは果たして合成繊維の単純形に置き換えるのができるのであろうか。
韓国弓については知識がないので素朴な疑問で。
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