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● 道徳の土砂崩れ
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JB Press 2012.04.03(火)
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/34885
「失われた道徳心」が中国の国家的問題に経済成長を追いすぎた弊害
に中国人も危機感
姫田 小夏:プロフィール
3月13日、中国で人民政治協商会議の第11期全国委員会第5回会議が閉幕した。
バブルの絶頂期を経た中国は、今、新たな時代を迎えつつある。
政策の軸足は「民」の生活へと移り変わろうとしている。
今まで陽の当たらなかった「民」の声を拾うようにと、会議は8つの問題点を取り上げた。
(1)住宅価格と固定資産税改革、
(2)物価、
(3)収入格差、
(4)“老三難”と言われる教育、医療、失業問題、
(5)食品の安全性、
(6)スクールバスの安全性、
(7)ミニブログと社会の管理、
(8)道徳心の喪失、
がそれである。
今、13億の国民の不満はここに集中している。
■倒れている人を助けない中国社会
この中で興味深いのは最後の「道徳心の喪失」だ。
「道徳心の喪失」はここに来て浮上してきた新しい社会問題である。
上海でも社会道徳の欠如を嘆く声が日増しに強まっており、中国政府もまたこれを重視している。
2011年10月の広東省広州市で起きた「悦悦ちゃん」の“見殺し事件”は、当局も深刻な問題と受け止めている。
これは、2歳女児の悦悦ちゃんが車に轢かれて路上に血を流して仰向けになっているのを、18人が見て見ぬふりで通り過ぎ、ようやく19人目が通報したという事件だ。
筆者にも同様の経験がある。
上海の路上で女性が倒れているのを目撃した。
周りに人垣ができていたものの、誰も手を差し伸べようとしない。
筆者自身がどうだったかと言えば、実は正直怖かった。
差し伸べた手をグイと引き寄せられ、お前が押し倒した、医療費を払えと絡まれたらどうしようか、という不安感があったのだ。
通り過ぎる中国人も同じ心境だったに違いない。
道徳的であろうとすると、しっぺ返しを喰らう
──中国人の間にはそんな共通認識が出来上がっている。
中国では最近、この10年の飛躍的な経済成長の功罪が問われている。
世界第2位の経済大国にのし上がったものの、それはあまりにも急激で、かつ無理のある発展であった。
その代償として失われたものこそが、「国民の道徳心」だった。
■13億人の中で何人の善人がいるのか
「冬の寒空に川に落ちた子どもを助けたのは、80歳近い老人だったんだって」
「周りはみんな黙って見物してたんだよ。
世の中一体どうなってるんだろうね」
お昼の井戸端会議。
上海の主婦2人が「中国人の善良さ」について話をしている。
子供を救助するために川に飛び込んだ老人の話を、主婦の1人が持ち出した。
どこの国でも、いい人もいれば悪い人もいる。
中国もまた同じだ。
善人もいれば、そうでない者もいる。
それにしても最近の中国はひどすぎる、と彼女は言う。
2人とも、
「中国にはこれだけ多くの人がいるのに、善人は減った」
という点で意見が一致した。
ところで、上海では昨今異常なほどのペットブームだ。
それは道端に転がるフンの急増を見ても分かる。
小動物へ向ける愛情の裏にあるのは、単なる「血統書付きを飼うことの見栄」だけかと思ったらそうでもない。
ある愛犬家は次のように言い放つ。
「なぜ犬を飼うかって? 犬は人間を裏切らないからだよ」
もともと中国人は容易に他人を信じる方ではない。
だが、この一言からは、近年ことさら疑心暗鬼になる中国人の疲れた心が垣間見える。
■「ひどい苦労もしたが、あの時代は人間が純粋だった」
上海市揚浦区に住む51歳の李さん(仮名)は、上海市の定めた最低賃金で働く労働者だ。
持ち前の真面目さゆえに「いつも損ばかりしている」と自嘲しながら、今の上海社会をこう見通している。
「中国で今尊敬されるのは、“金持ち”だ。
金持ちになった過程も人格も問われない」
鄧小平の提唱した改革開放路線で市場経済が導入されると、集団主義が見直され、「私」が認められるようになった。
ここで言う「私」は「個人として財産を持つ権利」だが、この部分だけが完全に一人歩きをしてしまった。
その結果、三十余年経った中国社会は
「自分さえよければ」
「金さえあれば」
という極端な世の中となってしまった。
李さんは「毛沢東時代」と「鄧小平時代」の両方を見てきた。
その李さん曰く、
「『中国は特色ある社会主義だ』といってもそれは建前で、実質的には資本主義だ。
しかも、この中国版資本主義はあまりにも行き過ぎている。
毛沢東の時代はひどい苦労もしたが、あの時代は人間が純粋だった」。
毛沢東時代は決して肯定できないが、と前置きしつつ、
「それでも人の善意があったし、高潔な人物もいた」
とする声は李さんだけにとどまらない。
「人としてどうあるべきか」
を、まだ尊重できる社会だったのだ。
■儒教に走る経営者たち
「善意」が失われた社会に抵抗し、もっと道徳心を取り戻そうという動きもある。
中国人経営者の間で儒教ブームが起きているのは、その表れだろう。
上海郊外で工場向けに食堂を経営する林さん(仮名)は儒教に傾倒する1人だ。
「儒教の専門書をひもとくと実に胸がすく思いだ。
儒教には、自分を正しくしてこそ家庭や会社を正しい方向に導くことができる、という意味の言葉がある。
実にいい言葉だ」
と話す。
儒教の教えを経営に生かそうとする人も少なくない。
別の経営者はこうコメントする。
「採用の面接では、あなたはどんな親孝行をしているかを尋ねています。
家族を大事にする社員は、会社も大事にしてくれるからです」
ストイックな仏教徒も出現している。
筆者はある食事会で円卓を囲んだとき、隣に座った中国人の施さん(仮名、外資系企業職員)がほとんど箸を動かさないことに気づいた。
施さんは他人の料理を取り分けてあげることに忙しい。
自分の食事より他人の世話をすることに熱心な中国人に、筆者は初めて出会った。
施さんのために肉料理を取って皿に盛ってあげようとするとやんわりと断られた。
「自分は素食だから」と言う。
施さんは敬虔な仏教徒だったのだ。
次の瞬間、同時に同じテーブルに座っていた人々の好奇の目が一斉に彼に向かった。
「牛乳は飲めるのか?」
「タマゴは食べても平気なのか」
「栄養は偏らないのか」
多くの質問が矢継ぎ早に彼に向けられた。
だが、それは好奇心というよりも、むしろ仏教徒である施さんの心の安定への羨望から来るものだと筆者は受け止めた。
何千万円もする高級車を運転する、20歳にもならない上海の若者がいる。
だが、「富二代」(2代目の金持ち)と言われるこの若者の両親は刑務所暮らしだという。
高級車は、道徳を踏み外して富を手にした両親から贈られたものだった。
今、中国では「富二代」向けに道徳を説く専門教育もあるという。
「人としての道」を見失った中国社会全体が、心の拠り所を欲している。
心の漂流のその先に、中国人には果たして何が見えてくるのだろうか。
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『
JB Press 2012.05.15(火)
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/35185
先生は日本企業?
中国人が気づいた道徳的経営の価値
「徳をもって天下を治めることは、時代のニーズだ」──。
2012年2月、温家宝首相が行った政府活動報告の中のワンフレーズである。
社会道徳や企業倫理、家庭や個人の道徳が失われた中国。
その危機意識がこの一言に表れていた。
「中国は儒教を信じる国家だ」と認識する日本人は少なくない。
確かに、かつて中国にはそうした思想家たちが存在した。
だが建国後、1966年の文化大革命と1979年の改革開放という2度の変節を経て、儒教精神の継承は完全に分断された。
中国の著名な儒学者は
「儒教思想を一言で表すなら『治』だ」
と言う。
「治」とはいわゆる「管理すること」だ。
その対象は国であり、組織であり、自分自身である。
だが、現在の中国における官僚の腐敗、経営者の脱法行為、「80后、90后」(80年代、90年代生まれ)と呼ばれる若年従業員のわがまま放題を目の当たりにすると、「管理して統治」する機能がほとんど失われてしまったと言わざるをえない。
だからこそ儒教が復活しているのだ。
中国人は儒教の教えに熱心に耳を傾ける。
とりわけ経営者にとって、新鮮に響くようだ。
中国では「民営企業の寿命は長くて2年」とも言われている。
起業したはいいが、会社の存続に自信を持てない経営者が少なくない。
経営理念、経営戦略を練り、組織をまとめる際の拠りどころとして、この伝統思想にすがろうというのだ。
■日本的経営の根底には儒教の教えがある?
実際に中国の書店では儒家思想を中心とした書籍が売れている。
儒家思想を中国では「国学」と呼ぶが、多くの経営者が「国学と企業管理」などの書籍を携えている。
「上有好者、下必甚焉。上の人がいい人だと、下もつき従う、という意味だ。経営者として学ぶべきものがある」
「●大賞小(●の字は「殺」のへん:罰を与えるのはむしろ幹部、褒めるべきは部下)。
なるほど、これは実行しなければ」
このようにお互いに感想を語り合う企業管理者たちもいる。
「仁義礼智信」という言葉に目からウロコが落ちたという女性企業家にも出会った。
「難しい言葉ですが、人に対してよく接することが大事なんですね」
と言う。
ある中国人経営者の愛読書。
「道徳」という言葉に反応する経営者が増えている
日本人にとって「当たり前のこと」が、中国人にとっては「啓蒙」として響くようだ。
日本では、こうした道徳観念は「儒家思想」と謳わずとも古くから家庭や学校で教えられ、人間関係や企業理念の規範となっている。
中学校の漢文の教科書に出てくる論語の一節「己所不欲勿施于人(己の欲せざるところ人に施す勿れ)」もポピュラーである。
アジアの小国日本が世界に冠たる経済大国になれたのは儒教的企業管理と無縁ではないとする見方も、中国にはある。
中国には多くの日本研究者がいるが、彼らが大きな関心を抱いているのが「日本的経営と儒教との関わり」である。
「日本企業における教育トレーニング」「中国の儒教と日本の管理哲学」「日本企業管理に対する儒家思想の影響」など、関連する論文は枚挙にいとまがない。
また、中国でも一部の識者は日本の「道徳と経済」の均衡に目を向けている。
「道徳経済合一説」という理念を打ち出した渋沢栄一の『論語と算盤』は、中国語にも翻訳されている。
■疲れが出てきた中国人経営者たち
食うか食われるかの弱肉強食、ヒット商品を出せばたちまち模倣され利益はどんどん薄くなる。
競合他社を倒すためには手段を選ばない。
スパイ行為も当たり前。
業界ルールもなければ、企業モラルもない──。
そんな中で十数年、「すべては利益のため」と突っ走ってきた中国人経営者たちだが、そろそろ疲れが出てきたようだ。
「企業にとって最高の戦略は財務でも、マーケティングでも、商品でも、サービスでもない。
それは企業文化を築くことだ。文化で企業を管理するのだ」
儒学者のそんな言葉が枯れ果てた経営者の心に染み渡る。
30代の若手経営者は目を潤ませて「古典には心が洗われる」と感動を隠さない。
今の中国経済の病を一言で語るならば、「短兵急」にある。
「短期的な利益だけを目標に置き、結果を急ぐせっかちさは、自分で自分の首を絞めるだけだ」
と、ある儒学者は警鐘を鳴らす。
「30年かけてやる意義のあることを見出すことが肝要。
目標設定を30年後にすれば、中国人の幸福指数も上がるだろう」(同)
従業員の離職率の高さに頭を抱える経営者には、こう呼びかける。
「大切にすべきなのは、年齢の高い人材だ」
むしろ熟年以上の高年齢者こそ、会社にとって有益だ。
今どきの80后、90后よりもよほど常識的で、きっちりと仕事をする。
香港で買い物をすると白髪の年配者が靴を試着させてくれる。
「こんな老人が・・・」と思うなかれ。
彼らは企業文化をしっかりと身につけたベテラン社員であり、誇りを持って仕事に従事している。
ブランドはそういうところからも形成されるのだ――。
儒学者は年長者への敬意を、こんなふうにビジネスに転化させる。
■将来の共産党幹部も道徳を学ぶべし
また、儒教の説く「孝行」を強調し、こんな指摘をする専門家もいる。
「雇用するなら親孝行できる人材だ。
『考』を企業文化に取り込め」。
の理由は、家族を大切にする人材であれば企業を大切にすることができる、からだ。
中国には「孝行」をキーワードに成功した企業もある。
山東省のある企業は、職員に支給する給料の一部を故郷の両親に仕送りさせている。
幹部なら数千元、一般職員なら数百元だ。
この規定には思わぬ効果がある。
故郷の両親が郵便局にお金を受け取りに行くたびに、
「うちの息子の会社は毎月これを送ってくれる」
と近所に宣伝してくれるのだ。
ちなみにこの企業では、すべての社員に「弟子規」「孝経」を学ばせている。
「弟子規」とは、清代に多用された道徳啓蒙書。
孔子の教えをもとにした学生の生活規範である。
勉強の方法はもとより、人との接し方などについても触れている。
近年は企業管理にも導入され、社員教育のツールとしても注目を集めつつある。
「弟子規」は、習近平国家副主席が中国共産党中央党校で演説を聞く各省の書記に向けて「読んでみては」と薦めたことでも話題になった。
中国共産党中央党校と言えば、中国共産党の高級幹部を養成する機関だ。
中国でマルクス思想から伝統思想への回帰が始まったかのようだ。
■伝統思想への回帰は日本企業にとって追い風に
以上の一連の動きからも、中国でもマネーゲーム的な経営はそろそろ受け入れられなくなってきていることが分かる。
求められるのは、持続可能な企業文化の構築だ。
これは日本企業にとって追い風と言っていいのではないか。
今まで、中国に進出する日本の企業にとって「現地化」が大きな課題の1つだった。「滅私奉公」な働き方や「年功序列」などは中国人から煙たがられていた。
だが伝統思想に回帰しようとする流れの中で、日本の企業文化はむしろ中国人社員の支持を得る部分もあるのではないだろうか。
中国で伝統思想が見直されれば見直されるほど、日本的な企業管理がクローズアップされ、進出のアドバンテージにもなるのではないか。
筆者は、儒教こそが日中のビジネスを結ぶ共通言語になるのではないかと見ている。
』
『
レコードチャイナ 配信日時:2012年5月23日 13時4分
http://www.recordchina.co.jp/group.php?groupid=61504&type=0
得にもならないのに良いことをする奴はバカだ!
「中国人の道徳、土砂崩れ」
2012年5月、中国青年報は記事
「「社会道徳の土砂崩れ」あると78%が回答=良い人になるコストは高すぎて損」
を掲載した。
先日、南京市の清掃労働者・沈現台(シェン・シエンタイ)さんが話題となった。
これまで170以上の落とし物の財布を届け、そう多くはない給料の中から病気の子どものために寄付金を送っていたという「いい人」。
だが同僚や近所の人々からは
「新聞に載るようないいことをしたのに表彰状すらもらってないじゃないか。
いいことをした人はみんなもらっているのに。
バカじゃないの」
と嘲られていたという。
このエピソードがメディアで取り上げられ、大きな反響を呼んだ。
新聞社には「沈さんを表彰してあげて」との読者の声が寄せられた。
また中国青年報が実施した世論調査では、
78%が「社会道徳の土砂崩れ」は存在する
と回答している。
』
「道徳の土砂崩れ」
なるほどね、中国ならありそうなことだ。
一党独裁ではやむ得ないだろう。
顔は独裁者とその社会システムに向いてしまう。
それ以外は、ムダ。
正解だと思う。
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