2012年5月22日火曜日

目指すは不死の世界! ロシアで「アンドロイド」に人間の意識を移す計画が

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ロケットニュース24 2012年5月22日
http://rocketnews24.com/2012/05/22/214006/

目指すは不死の世界! ロシアで「アンドロイド」に人間の意識を移す計画が着々と進行中

 ロシアで驚くべき計画が進行しているのをご存知だろうか。
 その計画とは、人間の脳をアンドロイドに移植するというものだ。
 これにより、「不死の世界」を作るという。
 2020年までに完全に機能するレプリカを作り、2045年までに実用化する計画があるようだ。
 はたして不死の世界とは実現可能なのだろうか?

 この計画(アバター計画)を進めているのは、ドミトリー・イツコフ氏の研究グループだ。
 彼らは2020年という近い将来に照準を合わせ、人間の意識をアンドロイドに移植することを目指している。
 その手始めに、ロシアで初めてとなるアンドロイドを開発したのだ。

 アンドロイドと言えば、日本で開発された人間そっくりの「ACTROID-F」やデンマークで開発された「Geminoid DK」が世界的に知られている。
 これらは、現在もっとも人間に近い表情やしぐさを再現している。

 ロシア版のアンドロイドは、今のところこれらに遠く及ばない。
 せいぜい目を動かして会釈するのが限界だ。
 しかしながら、将来的にロシアがアンドロイド開発の世界をけん引していく可能性がある。
 というのは、イツコフ氏の最終目標はアンドロイドに留まらないからだ。

 不死の世界を目指して、人間の脳を移植。
 そののちに「ホログラムタイプのボディ」を作ることが最終目的だからである。
 このボディは実体を持たない、「光の体」とでもいうべき代物。
 イツコフ氏の説明では、壁を通り抜け光の速さで移動するという。
 したがって、彼らにとってアンドロイドは通過点でしかない。
 そう遠くない未来に、驚くべき機能を備えたアンドロイドが、ロシアから登場するかもしれない。

 とはいえ、脳の移植は本当に可能なのだろうか? 
 そしてホログラムボディを作ることはできるのか? 
 今後の研究開発の行方が気になるところだ。
 それにしてもロシア産アンドロイドの目は怖い……。

参照元:Youtube plasticpals1,プラスチックパルズ(英語)

Russia's First Android (2012)
http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=_5zDI25E4v8#!


 人間を支えているのは「脳」の働きによることは周知のことである。
 脳は脳細胞で出来ており、人間の脳が最高値を示すのは20才前後と言われています。
 その時の脳細胞数は「140億個」くらいです。
 その後、脳細胞は1日10万個くらいずつ減って(死に絶える)、1年に「3650万個」減少する。
 その重量は「4グラム」くらいといわれている。
 歳を経るに従って死亡細胞数は増大していくので、90歳では「110億個」ぐらいになる。
 脳細胞が死ぬとそのところの密度が希薄になり(スカスカになる)、十分な通信ができなくなる。
 それが痴呆である。
 また、密度の減少により酸素が十分に行き渡らなくなる。
 酸素が4分間供給されないと、脳は死にます、つまり人間は死にます。
 よって脳の寿命が人間の寿命を規定することになります。

 100億個に近づくともはや通信も酸素運搬もできずに脳全体が機能を失ってしまう。
 その年令はほぼ「120歳」でこれ以上は脳が生存できないとされている
 まれにそれ以上の方もおられるが、それは1千万人に一人といった、非常に稀な例外である。
 現今の医学では人間の寿命は「120歳」とされているが、それはこの再生不能な脳細胞の死滅という事象によっている。
 iPS細胞など、再生細胞が現在研究されているが、いまのところ脳細胞の再生は不可能となっている。
 おそらく、永久に人間の知識においては不可能なのではないだろうか。
 人間が人間である限りにおいて。

 インド哲学によると、同じように人間の寿命は120歳といっている。
 その中間点である「60歳」を「還暦」として、暦が生の方向から死の方向へ還っていくとしている。
 つまり60歳を過ぎたら、いつでも「死」が待っているということであり、人はそれに備えなければならない。
 しかし通常、60歳を過ぎても老化は感じない。
 50代のころにエネルギーを慣性で引き継いているからである。
 しかしそれが切れる65歳あたりから、老化が意識できる形で身体に現れてくる。
 よって、65歳からは「生の終わり」を自分で演出できるようにならねばならなくなる。
 世間は60歳代の死を「ちょっと、早かった」という
 70歳を「古希」という。
 古希は「古稀」で、人生七十古希稀なり、かくも古く生きるは稀なり、ということである。
 70歳代の死は「ちょうどいい按配の死に時」ということである。
 77歳を喜寿、喜ばしくも長生きされまして、ということである。
 
 お釈迦様は人間に煩悩を知らしめるために、120歳の寿命を持ちながら「80歳」で入滅したという。
 「入滅」とは言葉のアヤで、食を絶って自殺した。
 よって80歳以上はお釈迦様以上のお命ですから、「長生きされて」、となる。
 80歳は「傘寿:さんじゅ」、ときに「かさじゅ」ともいわれる。

 話を戻すと、人間の脳細胞の死滅を食い止めない限り、120歳というほぼ絶対的な寿命を動かすことはできないということである。
 そしておそらく、それはいかに人間の知能が進歩しようとも、脳細胞の再生はできないだろうと思う。
 なぜなら、考える脳それ自体が、そういう脳細胞の仕組みのなかでのみシステム化されているものだからである。
 よって、人間の世界には永久に「不死の世界」は来ないということである。
 脳の移植をしても脳は120年経てば死ぬ。
 また、移植しないといけない。
 つまるところ不死には到達できない。

 
 
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