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● 泰緬鉄道 google画像より
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NICHOGO PRESS 2012年5月21日
http://nichigopress.jp/ausnews/world/38413/
ビルマ政府、泰緬鉄道復活計画を発表
「死の鉄道」を貧困地域救済に向けて活用図り
ビルマはインドシナ半島の西側に延びており、タイとは険しい山岳地帯で隔てられている。インドシナ半島のほぼ全域を占領した日本軍は、インド方面への兵站線として友好国だったタイとイギリス植民地ビルマの間に鉄道敷設を計画した。
バンコックからラングーンまでの424kmの鉄道、日本名泰緬鉄道(泰はタイ王国、緬は中国語表記のビルマ国名で緬甸から)、英語名Thai-Burma Railwayは、現地人や捕虜を労働力に使い、1943年に開通したが、苛酷な条件の下でオーストラリア兵2,815人を含む捕虜11,000人以上と、日本軍に狩り出されたアジア地域の労働力75,000人前後が亡くなり、「死の鉄道」と呼ばれている。
鉄道は大戦末期に連合軍に爆撃され、その後、鉄道の一部は利用されているが、国境付近の105kmが不通になったままで放置されてきた。
この不通区間にあるコンユウ切り通し、ヘルファイア(地獄の業火)峠にはオーストラリア政府が造った、犠牲者を悼む碑があり、今もオーストラリアから訪れる人が多い。
5月21日、ビルマ政府のアウンミン鉄道大臣が、10月からビルマのスリー・パゴダ峠からタイ側までの105km区間の修復予備調査を始めると発表した。
アウンミン大臣は、
「地元カレン抵抗派との停戦協定が成立した。
この区間を再開し、ビルマ・タイ両国の交通貿易を拡大し、観光を誘致することで困窮しているこの地域住民の経済に役立てたい。
他の国々も鉄道再開への援助を申し出てくれている。
是非とも鉄道を再開させたい」
と語っている。
さらに、
「雨季が終わってから測量調査を始める。
その時には海外からの支援も受けられる」
としている。
ビルマ軍事政権は長らくビルマを鎖国同然の状態においてきたが、2011年のテインセイン政権成立以降は政治、経済の改革を進めており、近隣諸国との国交改善も図っている。
この地域の少数民族カレン抵抗派も今年1月に政府と停戦協定を結んでおり、鉄道再開でこの地域が経済的に潤うようになれば、カレンの多数派民族に対する反発も弱まると期待されている。
1957年の英米合作映画『戦場にかける橋』は、タイのクウェー川にかかる泰緬鉄道の橋建設にまつわる日本軍と英連邦軍捕虜将兵の駆け引きを描いた作品。(NP)
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Wikipediaから。
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泰緬鉄道(たいめんてつどう)は、第二次世界大戦中にタイとビルマ(ミャンマー)を結んでいた鉄道である。
日本軍によって建設・運行されたが、戦後連合国軍によって部分的に撤去され、現在はナム・トク(Nam Tok)で途切れている。
日本軍の公式名称は泰緬連接鉄道。
英語名称は Thai-Burma Railway だが、英語圏ではむしろDeath Railway(死の鉄道)の名で知られる。
存置部分は、タイ国鉄南部線の支線、ナム・トク線として運行されている。
深い自然の中を通っているため風光明媚であり、「チョンカイの切り通し」や「タム・クラセー桟道橋」(アルヒル桟道橋)など見所も多いため、観光客に人気の路線となっている。
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Wikipediaから。
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『戦場にかける橋』(せんじょうにかけるはし、The Bridge on The River Kwai)は、1957年公開の英・米合作映画。
第30回アカデミー賞作品賞受賞作品。題名の「戦場にかける橋」とは、タイ王国のクウェー川に架かるクウェー川鉄橋を指す(位置情報)。
製作会社はコロムビア映画で、監督はデヴィッド・リーン。
フランスの小説家ピエール・ブールの『戦場にかける橋』(Le Pont de la rivière Kwaï(fr) / The Bridge over the River Kwai(en))を原作にリーンらが脚色。
1997年に合衆国・国立フィルム保存委員会がアメリカ国立フィルム登録簿に新規登録した作品の1つである。
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カンチャナブリ Kanchanaburi, Thailand
http://www.youtube.com/watch?v=uQ2f0qwgFYw
カンチャナブリー。クウェー川鉄橋へ行き、泰緬鉄道に乗ってきました。
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タイ カンチャナブリー鉄橋~泰緬(たいめん)鉄道
http://www.youtube.com/watch?v=aBvA3diyRMM
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The River Kwai Bridge これが本当の「戦場にかける橋」
http://www.youtube.com/watch?v=0NgTci0B9wg
この橋はバンコクのトンブリー駅から列車でも行けて、橋も客車が通貨します(100バーツ1日2往復)。
私も第一印象は意外と小さいなぁって感じでした。
wikiで調べたのですが、タイ国鉄のレール巾は1000mmだそうです。
この橋は普通に客車が走りますよ(全てディーゼルですが・・・)。
だけど、列車の本数が少ないのでバンコクの南バスターミナルから定期バス(99バーツ、15分おきに1本)で約2時間で到着です。
因みに列車が来てしまい橋から逃げ切れなかった人は橋のところどころにある避難所で列車をやり過ごすそうです。
橋から2km位に泰麺鉄道博物館、5km位の所にJEATH戦争博物館というのがあって、橋建築に関する事が学べますが、工事中の犠牲者も多かったようですが、結構日本軍と捕虜と一緒に飲み屋に行った写真があったりと、ゆるい一面も垣間見れて面白かったです。
湿気はタイ全体がそんな感じですのでじきに慣れてしまいますよ。
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2012年5月22日 読売新聞
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/hokkaido/news/20120522-OYT8T00038.htm
貨車など26両 ミャンマーへ室蘭港から輸出
●ミャンマーへの輸出に向けて、貨物船に積み込まれる石油タンク貨車(室蘭港崎守ふ頭で)
道内で使われていた鉄道車両26両をミャンマーに輸出するため、船積み作業が21日、室蘭港で始まった。
函館税関によると、道内からこれだけの鉄道車両が一度に輸出されるのは、珍しいという。
輸出されるのは、石油タンク貨車14両とレール運搬車12両。
シンガポール船籍の貨物船「ダイヤモンド・エクスプレス」(9981トン)に、クレーン車やリフトなどで次々と積み込まれた。
石油タンク貨車は1975年前後の製造。室蘭市の石油精製所から札幌、旭川などへの輸送に使われていた。
ミャンマーでは、港から内陸部への石油輸送に使われる予定。
レール運搬車は、北海道新幹線のレール整備などに使われていた。
ミャンマーの鉄道は電化されておらず、中古でも性能の良い日本製気動車(ディーゼル)を輸入、運行している。
室蘭港からミャンマーへの積み出しは旧ふるさと銀河線3両を運んだ2007年以来、5年ぶり。室蘭市港湾部総務課の西舘武志主幹(43)は「室蘭港の活用はありがたい。
今後も利用してもらいたい」と話した。
同船は22日午後6時頃に出港、6月7日頃にヤンゴン港に着く予定。
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