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レコードチャイナ 配信日時:2012年5月16日 6時54分
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日本青書を発表、「経済モデルが歴史的転換期を迎えた」―中国
2012年5月14日、人民網日本語版によると、
中国における日本研究で最高権威となる年次報告書「日本発展報告」(日本青書)
がこのほど発表された。
青書は日本の政局について、
「複合的な災害を契機に安定するということはなく、政党政治の構造的問題が国家の発展と危機対処に及ぼす悪影響が一層浮き彫りになっている」
と指摘。
「2011年の経済指標は災害復興のさなかにある日本の経済成長が抱える不確定性を予見している」
との見方を示した。
中華日本学会、中国社会科学院日本研究院、社会科学文献出版社が共同出版した同青書は、
「東日本大震災 日本は国難をどう乗り切るか」
に焦点を当て、震災が日本の政治、外交、経済、社会、文化に与えた影響を回顧・分析した上で、今後の展望を行った。
青書の要旨は以下の通り。
▽日本の政治は低迷が続く
政党政治が民主政治の初志から離れ、政権獲得を最大の目的とした政治構造が鮮明化する中、与野党は国難にあっても足並みをそろえることができず、災害復興に向けた「統一戦線」の構築も難航した。
災害発生後、当時の菅直人首相は災害対応に向けて、谷垣禎一自民党総裁に「大連立政権樹立」を提案したが、当時の政党政治の枠組みでは当然のごとく拒否された。
未曾有の複合災害を前に、日本政府の危機管理能力が試された。
震災予防や救助については、日本は豊富なノウハウを持ち、各機関の職員も日ごろから訓練を受けている。
しかし発生した事態が想定範囲を上回ると、責任逃れの体質や意思決定の遅さなどが露呈してしまう。
菅首相はリーダーシップのなさとチームワークの悪さを批判され、辞任を余儀なくされた。
民主党政権は発足丸2年にして3人目の首相を選出し、1年1首相という政治ショーを再び演じた。
首相の交代で政治の枠組みに根本的な変化が起こることはないため、日本の政治の低迷は今後も続くとみられる。
こうした中で政治再生に向けた動きが特に注目される。2011年、日本は重大な危機に直面したにもかかわらず、長期的に不安定な政局には改善の兆しが少しもみられず、国民は伝統的な政党および政治的駆け引きに失望感や嫌気を抱いている。
国民のこうした失意は、新政党、地方政党、新政治に付け入るすきを与え、政治改革や過激主義の機運が高まる雰囲気さえ漂わせている。
▽歴史的転換期を迎えた日本の経済モデル
日本経済は震災の影響で、2011年第1四半期(1-3月)、第2四半期(4-6月)にマイナス成長に転じたが、工業生産の急速な回復と電力不足の緩和に伴い、第3四半期(7-9月)には明らかなV字型の成長がみられた。
だが欧州の財政危機や円高、タイの大洪水のあおりを受け、第4四半期(10-12月)には回復が鈍化した。
日本の民間機関、中央銀行、政府は2012年の経済成長率を1.9-2.2%と見込んでいる。
一方、日本内閣府が今年3月8日発表したデータでは、2011年1-12月の国内総生産(GDP)実質成長率はマイナス0.7%だった。
寄与率の内訳は、民間需要がマイナス0.2%、公的需要が0.3%、純輸出がマイナス0.8%。
2011年の貿易収支は1兆6100億円と、貿易統計を開始した1980年以来初の赤字となった。
経常収支については、日本企業が新興国で営業利益と利息収益を伸ばしたことを背景に、投資収益が前年比19.9%増の14兆3000億円に達し、9兆6300億円の黒字を維持した。
しかし規模は1985年以来最悪の前年比43.9%減となった。
こうした状況を招いた根本的な原因としては、戦後の日本が歩んだ特色ある立国戦略が頭打ちとなり、日本経済モデルが転換期を迎えていることが挙げられる。
それには、経済グローバル化の進展と新興国の台頭が背景にある。
アジアの新興国に比べると、日本は人件費や法人税が高く、加えて円相場やエネルギーコストが上昇していることから、産業的な競争力が打撃を受け、産業の海外移転に拍車がかかっている。
2012年、日本経済は2%前後の成長を実現するが、デフレが継続するため、震災復興に伴う成長も長続きはしない。
ましてや建築・土木業を中心とする震災復興プロジェクトは被災地が求める雇用職種ではなく、被災地が目指す産業構造でもない。
このほか、欧州財政危機が経済に与える影響も依然続くとみられる。
▽外交安保戦略 「日米同盟における日本戦略」から「日本戦略における日米同盟」へ
外交安全保障戦略の方向性の確立は、民主党が執政2年余りの対外戦略について行った反省と総括でもある。
2009年、政権交代に端を発した「日米安保論争」および菅・鳩山両政権が試みた対米関係の軌道修正はいずれも失敗に終わり、この過程にも、日本の政治に深く根を張る米国の影響力が見受けられた。
2011年、政界の主流派および民主党内の多数派は外交安全保障戦略で合意した。
この合意は単に自民党の政治外交政策を踏襲したというだけではなく、国内外の情勢に対する正確な判断を行い、積極性と弾力性に富んだものとなった。
自分自身を「ドジョウ」にたとえる野田佳彦首相は、「中庸」が自らの政治哲学だと訴え、
「学説やイデオロギーにこだわるのではなく、実際の社会の姿に向き合って問題解決をしていく」
「自由と平等を右足と左足にたとえ、二足歩行することが大事であり、平等が足りないと思えば左足を前に出す」
と説いた。
日本は日米同盟を機軸とした外交づくりに取り組むと同時に、同盟の枠組みのもとで最大限の発展を図る方針を強調している。
これは日本の外交安全保障戦略が
「自民党政権時代の伝統的な日米同盟における日本戦略」から
「日本戦略における日米同盟」
への転換を加速していることを物語っている。
米国の厳しい財政状況が同盟国としての日本にさらなる責任と活躍の場をもたらし、国家利益を最大化するためのツールとしての同盟の意味がより明確になっている。
2011年、日本の域内の外交安全保障活動には明らかな積極性や主体性がみられ、
▽.韓国との物品役務相互提供協定(ACSA)および軍事情報包括保護協定(GSOMIA)の締結
▽.フィリピン、ベトナムとの戦略パートナーシップの強化
▽.東南アジア諸国連合(ASEAN)とのシーレーン(海上交通路)など安全保障面での協力強化
▽.最新鋭ステルス戦闘機「F35」42機の調達決定
▽.武器輸出に対する規制緩和
―など動きを活発化している。
こうした動きに、戦略の奥行きや影響力の拡大、自衛力の強化といった戦略的意図が潜んでいることは否定できない事実だ。
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「日本青書」なるものがあるということは、中国の日本研究はすこぶる進んでいるとおもわれるのだが。
それにしては「対日本」戦略は拙い。
どうしても「自国から観たニッポン」ということになるからだろう。
やはりこのあたりになると、アメリカが進んでいる。
プロファイリング・国家版といったたぐいがじつによく出版されている。
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